無意識日記々

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単にリリースタイミングの問題?

アーティストはしばしばベストアルバムやシングル・コレクションのリリースを嫌うものだ。そういった内容、というよりそれを取り巻くエピソード―契約消化だとか何とかいう理由づけの方が気に入られない例が大体だが、結論としてはやっぱりあまり気が進まないものになっていると思われる。

しかし、元々の我々の慣れ親しんだ写真を集めたものである「アルバム」という語感からすると、寧ろこういったベストアルバムやシングルコレクションの方が「アルバム」という"機能"を果たしているように思える。一曲々々をその時々に聴いている事で、どの曲に対しても「あぁ、この曲が流れていた頃自分は…」という風に思い出とリンクして聴く事ができる。実に「アルバム」らしい楽しみ方だ。

勿論、こんなものは呼び方ひとつであり、ザ・ビートルズ以降、ただのシングル曲の寄せ集めではないひとつの単体の楽曲集としての価値が広く認知されるようになった事を否定するものではない。

宇多田ヒカルも、シングル曲というよりはアルバムの充実度で評価の高いアーティストで、『Fantome』に至るまでそれは変わらないが、その源泉を辿るとやはりファーストアルバム『First Love』に辿り着く。

1999年3月から4月にかけて。当時は私ヒカルにそれほど注目を払っていなかったので完全なる妄想と推測で書く事にしよう。1999年3月10日にアルバムが発表される前にリリースされていたシングル曲は『time will tell』、『Automatic』、『Movin'on without you』の3曲(及びカップリングの『B&C』)であり、『First Love』はシングル曲としてリリースされていなかった。その後の4月にシングルカットされる訳だが、ここにヒカルの「アルバム・アーティスト」としての評価の源泉があるのではないか。おーとまとむびのんを聴いた、という状態でアルバム『First Love』を聴いた人たちが、初めて『First Love』というバラードに接した時に「シングル曲より凄い曲がある!」と色めき立った、その時に「宇多田ヒカルはアルバムが凄い」という評価が確立したのではないか。即ち、ヒカルがアルバムという単位にこだわっていたからというよりは、事前にリリースされていたシングル曲がその後に較べて少なかったの
が「アルバム・アーティスト」という見られ方の元々だったのではないだろうか。


こんな話をするのも、ヒカルが「アルバム」という単位に対して今どんな態度でいるかに興味があるからだ。どうにもヒカルはそこの所が徹底されてない気がする、て話からまた次回。