無意識日記々

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唐突に『In My Room』の歌詞の話

『In My Room』の歌詞は構成的だ。サビの歌詞、一番も二番も三番も『夢も現実も目を閉じれば同じ』は『夢も現実も目を閉じれば同じ』だが、繰り返しに対応する歌詞はそれぞれ、

一番:『ウソもホントウも口を閉じれば同じ』

二番:『ウソもホントウも君がいるなら同じ』

三番:『ウソもホントウも君がいないなら同じ』

となっていて、総て変化している。

一番は対応が最もわかりやすい『夢も現実も』に対して『ウソもホントウも』、『目を閉じれば』に対して『口を閉じれば』がそれぞれ応じている。

何が夢で何が現実なのか、幾ら見たってわからない、見れば見るほどわからない、ならば最初っから見なければいい、夢か現実かの判断をしなければいい。目に入らなければどうという事はない。

これと同じように、言われた事がウソかホントウか、幾ら考えてもわからない、ならば最初から何も言わなければいい。口を噤もう。耳に入らなければどうという事はない。


ここまではわかりやすい。が、二番と三番はちょっと捻ってある。二番。『君がいるなら』なぜ『ウソもホントウも』『同じ』になるのか。これはすぐにはわからない。なのにすかさず三番で『君がいないなら』『ウソもホントウも』『同じ』とくる。いたら『同じ』、いなくても『同じ』。一体どっちなんだと聴き手は戸惑い、そのまま歌が終わる。まるで、のちに『なぞなぞは解けないままずっとずっと魅力的だった』と歌うのそのままにこの歌は去る。そういやこの2曲、『In My Room』と『日曜の朝』って曲の雰囲気似てるね。作曲者同じだからさもありなんだけれど、両方とも収録アルバム発売当時ヒカルが「アルバムでいちばん好きな曲」として挙げた一曲である、という共通点もある。この何ともいえないけだるさがいいのだろうか。

で話を戻すと、ちゃんと『いるなら同じ』にも『いないなら同じ』にも理由があって、それもしっかり曲の構成の中に埋め込まれているのだ―って話をしたかったが時間が足りないのでまたいつかのお楽しみ。次回かな?