無意識日記々

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昔少しした話を改めて掘り下げる

前にも少し触れたが、小室哲哉の話。彼の曲は1998年頃を境にみるみるクォリティーを下げる。鈴木あみという"延命措置"で更にわかりにくくなったが、やはりせいぜいglobeのセカンドくらいまでが絶頂期だろうか。

80年代のTM NETWORKから聴いている身とすれば、彼の"絶頂期"は84年からの約15年間、ずっとである。渡辺美里をはじめとした楽曲提供もソロアルバムもサウンドトラックも、どれも彼のメロディーメイカーとしての才能の刻印が押されている。trf以降のプロデュース・ワークは言わずもがなだろう。真の頂点はやはりglobeという事になるし、そこを通過した以上衰え始めるのは仕方なかったのかな15年近くフルスロットルで曲を作り続けていたんだし、と私も思っていたのだ。ぼんやりと。何しろ1999年を境にこちらの認識は「日本人最大のヒットメイカーは宇多田ヒカル」という事実に塗り固められてしまった為、一抹の寂しさを覚えながらも一時代を築いた天才に対して「おつかれさまでした」という気持ちが大きかった。まさかあそこから転落人生が始まるとは思ってもみなかったが。

しかし、後に、ニコ生の出演だったかな、彼のソロタイムを聴いて認識を改めた。彼は才能が尽きたのではなく、メロディーの趣味と興味が移り変わったのだ。かつてTM NETWORK以降で聴かせていたジュヴナイルでメランコリックなBメロとシンプルでキャッチーなリフレインの織り成す"若者向け"のサウンドに、彼は最早興味を失ってしまっていて、もっとジャジィでリアリスティックなフレージングに目が向くようになっている…のだが、周りはそれを許さない。そして、こここそが彼の落ち度なのだが、彼はそういった周囲からの期待に応えようとして従来通りのデジタルポップを作り続けた。しかし勿論、心のこもらないサウンドにメロディーが宿る筈もなく、2000年代以降は彼のサウンドに憧れて作曲を始めたフォロワー達にもクォリティーで差をつけられていく(と言った私の頭によぎるのはとあるアニメの主題歌群…)。そりゃ売れなくなるわ。

もし仮に、彼が自分の感性の発露に忠実に従っていれば、局面は変わっていた可能性がある。確かに一時は人気が低迷するかもしれないが、心のこもった音楽、真に興味と関心を向けられた音楽は、今までと違った誰かの心に届いていたかもしれない。2018年にもなろうというのに20年前の赤の他人の心のうちを想像しても仕方のない事だけど。

ただ、彼は売れすぎた。周囲の期待に応えて"Get Wild"を再演するだけで拍手喝采である。遂にはこの一曲だけでアルバムまで作ってしまったのだから…恐ろしい。つまり、今の生き方でもニーズに応えればかなりの結果を残せているのだ。音楽的には失敗だったかもしれないが、生涯収入的には正解だったかもしれない。彼が今心から作ったかつてとは異質の音楽が果たして"Get Wild"より売れるかというと心許ない。TM NETWORKは今でもアリーナをソールドアウトにするだけの人気を誇っているのだから。


さてこんな話をした意図はお分かりだろうか。もし宇多田ヒカルに同じ事が起こったらどうなるか?を考えておきたいのだ。ヒカルの音楽的魅力といえば『Prisoner Of Love』に代表されるような、胸を締め付ける切ないメロディーと孤独と向き合った歌詞だと思うが、ヒカルの趣味と興味がここからもし離れたら?もし離れつつあるとしたら? 考えるだけでおぞましいというかちょっと怖いというか逆にワクワクするというか。この続きはまた今度書くとしましょうか。