無意識日記々

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愛称論

ヒカルはというとストリーミングサービスの事を『サブスク系』と書いていた。案外見慣れない表記だな。ツイッターの字数制限のせいかもしれないが、ヒカルが取り敢えずこう呼んでいたのはちょっとだけ引っ掛かっている。

愛称がついたから普及したのか普及したから愛称がついたのかというのは鶏と卵だと前回書いたが、因果はわからなくても相関はある。呼ばれ方から現況を推し量るだけなら有用だろう。

スマートフォンが普及し始めた時、様々なアプリケーションをダウンロードして利用するスタイルがどう浸透していくかに興味があった。iphoneの画面にはズラリとアイコンが並び、それらの用途は多岐に渡っていた。音楽も聴ける動画も観れるゲームも出来る。電卓も歩数計も地図もあればニュースに天気予報に占いにメールに電話に…と何でもありなのだ。そのアイコンをタップして利用する時にどういう言い方になるのかなー、というのが気になっていたのだ。いや、スマートフォンより前のインターネットつきガラケーからかな。日本のガラケーはかなりの間スマートフォン要らずな位に高性能だったから。

その「多様な用途」をたったひとつの言葉が吸収した。「アプリ」である。「アプリケーション」の略称だ。この呼び方は別に新しいものではなく昔から使われていたが、こうやって前面に出てくる訳ではなかった。が、高性能ガラケースマートフォンの流れの中でこの略称が定着し、スマートフォンの多用途がごく自然に受け入れられていったのは、人為的かどうかは知らないが「うまくやったものだな」と思わされた。実際、スマートフォンの使い方というのは考え込み始めると案外ややこしいものだが、「アプリをダウンロードして新しく表示されたアイコンをタップする」という動作は確かに何をするにしろ共通で、そこに愛称が入ったのは大きかった。

というのも、パソコンでも「アプリケーションをダウンロードしてデスクトップに新しく表示されたアイコンをクリックする」というやり方は全くといっていい程同じだったからだ。しかし、そのままの呼び方で定着するとは想像し難い。どちらが先にせよ、スマートフォンの持つに至った市場の大きさを考えると「簡易さ」は決定的な違いを与える。「アプリケーション」から「アプリ」の変化は、そこにおける必然だったと言いたい。

となると、音楽の聴き放題、ストリーミングサービスも、何かもっと格式張らない、親しみやすい名前が定着していくかが、市場の成長を推し量るひとつの目安になるんじゃないかと思えてくるのだ。というのも、今、いい愛称が定着してきている気配がないのである。即ち、未だ日本ではストリーミングサービスはまだまだ音楽ファン或いはマニアの間でしか試されていない市場なのだろう。

宇多田ヒカルという人が『サブスク系』と呟いた時、だから私は、そこに「ん?」と引っかかったのだ。より大きな市場を開拓するひとつの契機を担えるビッグネームの参加、それとともに、これが定着するとは思えないにしろ「今までとは異なる新しい何かであって、更に生活に密着するサービス」が現れた感覚を表現する"愛称"が現れた事に、言いようのない小さな感慨をもった。嗚呼、今目の前に実際に起こっているかは別として、こうやって時代は動くのだろうなと。

今年"サブスク系"が普及したかどうかは、つまり、端的に何と呼ばれ始めたかをみればいい、と言いたい訳である。一年経ってもまだ新しい呼び方が生まれていなければ一年であまり普及しなかった、もし新しい呼び名が自然に定着していればああこの市場は随分成長したなと判断する事にしよう、と。