無意識日記々

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いつも不安だからファンなのだ

今週はJpopとストリーミングの話が中心だったが、両方とも正直そこまで興味がある訳でもない。ストリーミングに関してはApple Musicを一度試してみようかな〜?とふんわり思っている程度だし、そもそも普段そんなにJpopを聴かないので廃れようが滅びようが対岸の火事である。メタラーの自分からすればMANOWARやSLAYERのラストツアーの方がよっぽど興味がある。それすら「年齢と音楽性考えれば当たり前でしょ寧ろ今までよくやってくれたよ」と思っているので残念というより感謝しかない。十二分に楽しませて貰ったのでもう既に十分なのだ。

…話が逸れた。Jpopやストリーミングの話をしているのは勿論、それがヒカルの主戦場であり、今後主戦場になるかもしれないからだ。今後ヒカルがストリーミングオンリーで新曲を配信し始めないとも限らない、と「Lonely One」は教えてくれている訳で、そこが気になっているのである。Jpop云々は、市場の変質への目配せだ。ストリーミングが新しい市場を形成しそれが主流になるなら、プロフェッショナルなヒカルはそこに向けて音楽を作るようになるだろう。家業を継いで音楽家になった者にとって、注文が無くなるのは即ち廃業でしかない。人が聴きたがっている音楽と、これから聴きたくなる音楽を提供するのがプロである以上、ヒカルは常に新しい媒体を意識する。

逆から見てもいい。相変わらずCDを買いアルバムを楽しむ層が一定以上居る限り、ヒカルはCDアルバム購買層を意識した音楽を作り続ける。時流云々は二の次であって、その時その都度ヒカルに「欲しい!」という声がいちばん大きい所に歌は向く。それが対話というものだからだ。

つまり、ヒカルのファンの多くが「最近のなんちゃらにはついていけんのう…」と嘆くならばその嘆きに寄り添ってくれるだろうし、ついていけてる人間が主流になればヒカルもついていく―どころか率先して引っ張っていくだろう。そういうものだ。

ではヒカルは多数派に擦り寄る日和見主義なのかと言われそうだがそれは違う。先に多数派に阿ったり時流に流されていくのはファンの方なのだ。ヒカルはどちらかというと頑固に自分のやり方を崩さないのだから。それは頭が堅い訳ではなく、自信を持っているからだ。柔軟であるが故にこれ以上変わる必要がないのである。いつでもふらふら定まらないのは自分に自信の持てない我々ファンの方であるのだから。

認めよう。ヒカルが我々を惑わすのは、我々がフラついているからだ。惑っているから普通にされるだけで惑わされているようにみえる。順序が逆なのである。

…話が難しくなった。シンプルに考えよう。我々は弱い。素直に惑おう。ヒカルはそれを優しく掬い上げてくれる。本当にまずいのは、あなたがヒカルに興味を無くした時だ。その時こそ焦るべきなのだが、我々の声はあなたに届かない。もう既に興味を失っているのならこんな所に来ている筈はないのだから。見続けていればヒカルはいつか必ず期待に応える。勝手に離れるのは常に我々の方なんだよ。