無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

何ヶ国語かで歌う覚悟は斯く如く

キングダムハーツさんの主題歌を日本語と英語以外の歌詞でも歌う、というアイデア自体はそこまで荒唐無稽でもない。例えば、アメリカのヘヴィ・メタル・バンド;マノウォーは"Father"というバラードを16ヶ国語で歌い分けてみせた。日本語バージョンのタイトルは当然"父"である。それをたった1人のシンガー(エリック・アダムス)が歌ったのだ。不可能ではないのである。

しかし、だからと言ってヒカルがそれに手を出すかというと違う。やるならそれなりのクォリティー(とヒカルは言うかもしれないがそれは即ち一般的に言う所の"最高品質"である)で世に送り出す必要がある。その為に学ぶべきところが多すぎるし、やるべき事も多すぎる。

実際、『光』と『Simple And Clean』の2曲を作るだけで「サビのメロディーをたがえる」という事をやったのだ。そうしなければ、それぞれの言語におけるそれなりのクォリティー(=最高品質)が担保できないからだ。歌詞の内容もそれぞれ日本語と英語の"感触"に相応しい内容に最適化されている。母語といえる2ヶ国語ですらこのような手間がかかるのだから、細かなニュアンスもわからない他の言語など一体どうなるのだ、というのが本当の所だろう。

ただ、今のヒカルの能力は今まででいちばん高い訳で、あとひとつくらいなら書いて歌えてしまうのではないかという"不安"は拭えない。まぁそこは弛まず見張っておく事にしよう。

まだ現実味のある案としては、ヒカルがキングダムハーツさんの主題歌として書いた楽曲を、他のシンガーがそれぞれの母語でカバーする方法だ。今度は先程のマノウォーと違い作詞や歌唱を一手に引き受ける必要はないのでプロジェクトさえ纏められればできなくはないが、皆さんご存知の通りこのやり方には先約がある。あの「アナと雪の女王」の「Let It Go」の手法なのだ。流石に知名度がありすぎてこの方法を実行すると二番煎じの謗りは免れ得ない。同じディズニーだし映画とゲームの違いもあるし決して悪いアイデアではないのだろうが、難しいところである。

それに、ヒカルの歌を他の誰かが歌って人気が出るかというと難しい。各国版の歌ができたら各国のゲームの内容も差し替えになる訳で、その時に「英語でいいからヒカルの歌がよかった」と言われたら目も当てられない。ヒカルが母語で歌ってくれれば感動的だろう。やはり、ヒカル本人が歌うべき、となる。

この際だからエスペラント語で歌って全世界の人を煙に巻くのも…(笑)。

まぁ、どうせ16ヶ国語版とか沢山のバージョンを作詞するんだったら『ぼくはくま』がいいよね。あの歌を各国のこどもたちが母語で楽しそうに元気一杯で歌う姿をヒカルがみたら萌え悶えてやる気全開満開になる気がするし。一生かけてやってく価値はあるかも。