無意識日記々

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功罪の攻防

『Passion』の方はというと、『光』の時とは比べものにならない位に"総スカン"だった。『光』は人気曲2,3曲に挟まれた「ちょっとした谷間」程度だったのに対し『Passion』は「キャリアの底」と言ってもいいほど評価が低く、全くと言っていいほど売れなかった。勿論『Be My Last』という壮大な爆弾の援護射撃(妙な日本語)があったからこそだが、発売当時はライトファンはおろか熱心なHikkiファンまで"総スルー"に近かった。まぁファン自体が減っていた時期でもあったしな。

潮目が変わるのはやはりゲーマーの皆さんからの評価だ。当時はYouTube黎明期。まだまだ動画の数も内容も出揃ってはいなかったが、『Passion』と後の『Sanctuary』をフィーチャーした「キングダムハーツ2」の動画は数百万規模の再生数を獲得していく。よっぽどゲームの幻想的な雰囲気と曲調が合っていたのだろう(私はゲームをプレイしていないので知らない)、特に海外のファンと思しい(ネットじゃ正確な区別なんてつかない)層が絶大と言っていい支持を得ていた。この時耕した層が後の『This Is The One』のヒットと『In The Flesh 2010』の盛況に繋がった可能性は高い。

一方日本ではヒカル本人が強引に持っていった。6年ぶりの全国ツアー『Utada United 2006』のオープニング・ナンバーに『Passion』を起用したのだ。並み居る名曲群を押しのけてよりによって歴代最低売上を誇る(当時)曲を"ツアーの顔"にしたのだから覚悟の程が窺える。これによってかよらずか、好き嫌いは抜きにして、以降『Passion』は「なんだかんだで大事な曲」としてなし崩し的にその地位を固めていった。今やゲームの評価と共にその確固たる存在感は無視できなくなっている。


つまり。『光』にせよ『Passion』にせよ、発売の瞬間は必ずしも高評価ではなく、後のヒカルによる扱いとゲームとのフィット感で徐々に評価を高めていった歴史があるのだ。よって『誓い』も、発売前いや発売前後の時点ではまだまだ「将来の確定した評価」からみれば全然過小評価にとどまっているおそれが強い。寧ろ、その筈なのに今の"ロケットスタート"なのだ。これからどんな事になるか想像もつかない。

しかしひとつ懸念がある。そうやって右肩上がりで評価された『光』と『Passion』がやや神格化された所まで来てしまった事だ。正史としては13年ぶりなのだから仕方がないが、この年月の長さは必要以上の拘りを生んで過去の記憶を美化させるのに十分な時間だ。その堅牢さが、逆に『誓い』への過度な期待を生じさせ、本来不要な落胆すら齎すだろう。これもまた「宇多田ヒカルmeetsキングダムハーツ」というコラボレーションが強力なブランドとなった証でもある。その功罪の攻防の中で『誓い』がどうなっていくか、楽しみだ。