無意識日記々

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誰か薄い本書いてくれませんかね

一方で、少しがっかりしている面もある。せっかく椎名林檎御姐様のトリビュート・アルバムに参加するのに、これでは勿体無いなぁ、と。ある意味で。

林檎嬢は『宇多田ヒカルのうた』アルバムに参加して『Letters』を歌った。こちらは体裁上トリビュートアルバムという呼び名は使わないが、相手の歌を唄うという面では同じである。『Letters』は元々、一部で「この歌詞にある『年上の人』って椎名林檎の事じゃないの?」と言われていた歌である。その歌を椎名林檎が直接歌った。更に『ひとりでも大丈夫だと言う』の箇所を「ひとりでも大丈夫と言う」と"だ"を抜かす事で伝聞風味を減じて歌ったものだから私らは更に色めき立った。やはりこの歌と椎名林檎には最初から何か言われがあるのではないかと。答は未だにわからないが、こういうのは色めき立てるだけで充分に御褒美なのだ。

ならば、今度逆に宇多田ヒカル椎名林檎の歌をカバーする機会が訪れたならば、そこにも何か2人の間のエピソードがあって欲しかった、なんて言うのは贅沢と我が儘が過ぎるだろうか。過ぎるだろうね。いやわかってるんだけど、年上の女性が年下の女性に対して早く帰ってきてよと切ない恋慕の恋文を認ため送ったのにもかかわらず、その年下の女性の方は、その年上の女性の部屋に合い鍵を使って上がり込み更に年下の男の子を連れ込んで宜しくらんでぶっているのが、今回の「丸の内サディスティック」を取り巻く状況なのである。余りに非対称過ぎやしませんか。

最初に私が「ある意味で勿体無い」と言ったのは即ち、「百合的な意味で勿体無」かったのだ。『二時間だけのバカンス』のミュージックビデオでなよっとしたヒカルが逞しく頼もしそうな椎名林檎嬢に物理的にはしなだれかかっている一方、内面を覗いてみれば、林檎嬢が精神的にヒカルちんに頼りきっているのでしたという対照的な構図が百合的な意味で非常に美しく尊かった。しかしそこになりくんが入ってきて百合的な展開が潰された。これを「勿体無い」と形容して何が悪い。全く以て憤懣遣る方無い。

…こほん。要は今後発表される「丸の内サディスティック」の出来がよければ結果オーライなのだ。今回実現しなかっただけで、今後もまだまだゆみちんヒカルちんの百合話は花を咲かせ続けるのに相違なく、一度流れた位で取り乱していては百合男子の沽券に関わる。今回は大目に見てやるとしよう。えっへん。