無意識日記々

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千切られた契り

ヒカルが黙っている間に憶測記事は出回るもので、こちらをみれば「ヒカルが若い男に乗り換えた」と書いてあるし、あちらを見れば「キコが遊興放蕩三昧で見切りをつけられた」と書いてある。ゴシップメディアに真実を求めても仕方ない。読者の「こうであって欲しい」「こうであるに違いない」という願望や決め付けに呼応するように書かれるのだから。

だからといっておいそれと情報を流していいものかどうか。黙っている方が対処法としては適切なのかもしれない。そこはヒカルの判断を信用しておこう。

繰り返しになるが、離婚がショッキングなのはそれ自体が不幸だからではない。我々が「結婚」という名の約束・誓い・契りを勝手に祝福したから、だ。祝福した誓いが裏切られたからショッキングなのであって、我々は自分で勝手に祝福して自分で勝手に落胆したのだ。実際、ヒカルの結婚に「おめでとう」と言っていない人は今回の離婚報道に対しても「ふーん」以上の感想は持ちようがない。

ただ、「自分で勝手に」という部分はやや突き放している。ヒカルがWebで結婚報告をしている以上、読者がそれを祝福するのは当然の事であって(勿論、祝福しないのも当然の事である)、それはヒカルには容易に推測できる筈。そして、実際に膨大な量の祝福リプライを受け取ったであろう。

となると、然り。離婚が知られれば祝福の分だけの落胆は覚悟されねばならないと容易に予想はつく筈。というか、結婚と離婚というのはそもそもそういうものだ。

だから、ヒカルを心配するのであれば、ヒカルの身の上ではなく、我々の方が「落胆していない」「気にしてない」と告げる方がより大切である。ただし、嘘をついてまで、とは言わない。正直にガッカリしたと伝える方がヒカルの今後にとってはプラスかもしれない。問題なのは、自分の落胆をヒカルへの心配に置き換えない事だ。良心のあるヒカルは、離婚自体を詰られる事と同様、要らぬ心配をかけている事実に対しても心を傷めているだろうから。

いずれにせよ、これもまた繰り返しになるが、離婚は「総てのコトが終わった後」に起こるものだ。私生活のヒカルはもう切り替えているだろう。我々は動揺しないのが一番である。難しいけどなっ。


そういえば昨年末に「12月上旬宇多田ヒカルは夫とこどもを連れて来日、子に日本のクリスマスを体験させたかった」という記事が出ていたな。時期的にも内容的にも捏造が望まれるものではなかった為妙に真実味を放つ記事だった。となると離婚に至ったのは一体いつなのか。或いはその時もう心は決まっていて、身辺整理や挨拶回りの為に3人で日本に来たのかもしれない。「3人で」というのが誤報の可能性もあるが。

昨日はダヌパの出生自体含め広く可能性を探ってみたが、勿論それは「ありそうなこと」ではなく単に「ありえるかもしれないこと」に過ぎない。しかし、つまり離婚とは、そして、それについての情報不足はありもしない「噂」を広めるには格好の材料なのだ。確かに「そっとしておいてあげようよ」という態度は一番正しいが、我々は我々で、四年前に自分たちで勝手に告げた「祝福の気持ち」が裏切られた点について、感情的に折り合いをつけないといけない。でないと、多分これから発表されるであろう幾つもの新曲たちの歌詞をまともに受け取る事が出来なくなるからだ。ヒカルの歌を素直に楽しめないっとそんな不幸は御免だろう。できれば、あと一週間のうちにこのぎこちなく滞った感情たちに決着をつけないとです。