無意識日記々

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※花晴れの話では、ありません。

今夜のドラマはヒカルファンの視聴率が半減している気がしてならないが、自分はちょっと楽しい。「火曜の夜にヒカルの声が聴けるのを楽しみにする」という極上の経験が思い出されるからだ。『Kuma Power Hour』だな。え、もう5年も前なの。いつ復活してくれてもいいですよ。

いやその話は長くなるからまたの機会に譲るとして。一見つまらないドラマを楽しく見る方法の話。何でも面白がれた方が人生楽しいイズムを発動させるだけである。

実写ドラマを地上波テレビで放映するにはとてつもない金額が要る。それは即ち才能のある人間が多数長期間にわたって関わるという事だ。その挙げ句にどうやって「クソみたいなコンテンツ」が生まれるのか、考えてみれば不思議な事である。

それを考えながらドラマをみると本当に楽しい。主役の若い子の演技が拙い。何故なのか。テレビドラマなんていくらでもオーディションをして芝居の上手な子を起用できる。なのに最終的に枠を獲得したのがこの子なのは何故なのか。「どーせ○○でしょ」と斜に構えるのはカンタンだが、そこで終わりにしないで更に想像力をはたらかせる。事務所の力だとして、何故その事務所はそこまでの力を持つのか。そこまでの事務所なのにわざわざ下手な子を推すのは何故なのか。枕営業をしているというのなら、幾らでも大金をはたいて高級コールガールを呼べるような権力者がはしにもぼうにもかからないこどもを相手にして何が嬉しいのか。いやちょっと違う方向に話がそれたけども、そういった「制作の背景」について出演者や脚本、演出、衣装や設定、音楽に広告に…とあらゆる要素について想像を巡らしていくと、そこには虚構ではない本当の人間ドラマが現れてくる。関わっている人たちが皆真面目に頑張っているのに結果がトホホになるのはどういった理由なのか…ドラマの中身は確
かにつまらないかもしれないが、「ドラマができあがるまで」の人間ドラマはほぼ文句なく面白い。無論、面白がれるのは自分が当事者ではない場合だけど。

宇多田ヒカルにテーマソングやイメージソングを依頼している時点でセンスがいい。更に、ヒカルがそのオファーを受けたというのはクォリティーの保証があると考えるべきだ。恐らく、水面下でヒカルと照實さんは数多くのオファーに断りを入れているだろうから、、、。」と、考えた時、ヒカルの歌が入るドラマがつまらない筈がない、という結論になる。最低限、原作は面白いだろう。面白い原作から駄作な実写が生まれるのは日本人なら日常茶飯事だが、その駄作な実写から面白い原作を脳内で演繹するのも楽しいぞ。

こういう風にダサく生み出された駄作を楽しんでいると、しまいには「面白い作品はなぜ面白いのか」という点についても理解が深まっていくのが、最大の副産物だと申し上げよう。時間は有限だが、一度駄作をみて楽しめれば、本当に魅力的な作品とは何であってどこに生まれやすいかもみえてくる。そこまで楽しむのが消費者としての勝利者だ。皆々様方の健闘を祈ります。