無意識日記々

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初恋は何色に染め染められるのか

今回のアルバム制作スケジュールは、途中になりくんのデビューを手掛けたお陰でわかりにくくなっている。一応、最終マスターアップまでにはまだまだ時間は取れるものの、もうマスタリングを終えていても不思議ではない。が、ヒカルの性質上時間がまだあるとなれば最後の最後まで手直しをし続けている事も考えられる。これがツアーが近ければ、とっとと切り上げてリハーサルに入らないと!となるが、半年後に集結するべきメンバーが今全員揃うとは限らない。はてさて、今ヒカルはどんな状況なのだろうね。自分がプロデュースを手掛けたアルバムが年に2枚も、しかも2ヶ月間隔でリリースされるって凄いなとは思ったが、90年代の小室哲哉はそれが日常だったんだから上には上が居るもんで。

その小室哲哉のベスト盤が『初恋』と同日だかに発売されるらしい。楽曲のクォリティーもそうだが、何より、彼の曲をかき集めるとひとつの時代の風景がみえてくるのが強い。他には殆どないと言っていい。もしかしたら秋元康の方がその時期の"独占度"は上かもしれないが、そこに時代の風景を見いだすのは難しい。後世において曲を聴いても思い出すのはその時のセンターが誰だったかとか、内部の話題だけだろう。小室哲哉の場合彼の曲が流れてきた瞬間に「こんな時代もあったよな」と人々が呟ける。Pop Musicは質以上に、実際に触れられ溶け込む事が重要だ。

ヒカルは19年前に時代の風景を形作ったが、それはもう数字で圧倒したからだ、ともいえる。そこにあるのは宇多田ヒカルの物語であり、彼女が歴史を染め上げたけれどもそれは普通の流行歌とは何か違う。浜崎あゆみが徹底的に時代の偶像であり続けたのとは対照的に。

『初恋』というタイトルは、そうやって染めた時代の色をセピアカラーに染め直すような作業になるのか、或いはモノクロ写真をカラー化するような作品になるのか。現行手に入っている楽曲群からは「いや大して関係ないですし」というただ"今"を感じさせる独自性と存在感が漂ってくる。となるとそれはタイトルトラックである『初恋』が一身に背負って新しい物語を紡ぐのか。まだよくわからない。何しろ流れるドラマが花晴れなので、そういう集中の仕方が出来ないのだ。今夜の放送でも長尺で流れるのかな。また聴いてみたいものです。