無意識日記々

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昔みたいに声張っても寒いだけさ

ヒカルの発声と発音が『Fantome』以降大きく(という程でもないかもしれないが)変わったのは知られる所ではあるものの、それを直接「全体としての曲調の変化」と結び付けて語るのは難しい。ヒカルは、生まれた曲ごとに歌い方を使い分けるからだ。

花束を君に』で歌声が優しく柔和になった、のは、ヒカルが変わったからではなく、『花束を君に』がそういう歌だったからだ。つまり、ある曲の曲調が先にあって歌唱法はそれに合わせて当てはめられるものであって、その逆ではない。いや、ではなかった。今までは。

それは恐らく、喉のトレーニングしてから初めてのプロダクションだったからだろう。アルバム一枚分を経て、漸くその逆の、「こういう声を出せるようになったから、こういう曲を書いてもいいようになった」といえる状況が出てきた。それが『Play A Love Song』だ。

ヒカルはこの曲で"新しい声"を存分に活かしている。少なくとも、デビュー当時の"90年代R&B風"と言われた歌い方からは随分遠い。柔らかく刺もササクレもない、それこそ天使のようなエンジェルボイスで高音が歌われている。清澄さと爽快感をもつ音像はこの発声なくしてはありえない。

とはいえ、勿論かつてからの発声も健在だ。『Play A Love Song』でいうなら、『そばにおいでよ』からの切ないメロディー使いの部分は昔ながらの発声に近い(全く同じという訳でもない)。その落差の演出は、「最初聴いた時宇多田ヒカルだってわからなかった」と言われる事多数だった『ぼくはくま』において、ただ一節だけ"従来通りの宇多田ヒカルの歌い方"を披露して見せ場を作った手法に通じるものがある。『ママ』、な。『僕の親がいつからああなのかは知らない』らしいけど。

そういう風にみてみると、『Play A Love Song』は従来通りの正調宇多田ヒカル路線であり、それと同時に新しい発声と発音を駆使した新機軸なのだともいえる。新旧どちらのファンも、昔を懐かしむ人も最近飽きていたという人も全員取り込める問答無用一撃必中の名曲なのですよ。