無意識日記々

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なんぼのもんじゃいの精神

いじけてリツイートしかしなくなってるのならそれはそれで寂しい…遠慮無くリンクミスってくれていいのよ☆

RADWIMPSの歌詞騒動がまだ尾を引いてるのかな。こっちも歌詞に『アクティヴィスト』とか使っちゃって釣ってる筈なんだけど全然話題になりませんねぇ。なんだか悔しいというか。それは違うか。

…あぁ、なるほど。野田くんが日英2ヶ国語で謝罪文?をリリースしたのか。つっても別に謝ってる訳じゃなくって…えぇっと、この、傷ついた人がいたらすみません、ってとこ位かな。

なんで謝るのかね。政治家じゃないんだからもっと自分の作詞に自信を持てばいいのに。なんだか歌が可哀想。昨日の神楽木の言葉をなぞれば、「正しいか否かより、自分の生み出した歌を信じないでどうする」ってところか。叩かれたからって謝るようなそんな気合いの入ってない?心のこもってない?商品を買わされたファンにこそ謝るべきだ。最も、そのファンの方は野田くんの作詞を気に入ってるなら謝るのも筋違いという事になるのだが、であればそんな風に受け入れてくれる人たちの為にも安直に謝るべきではない。

人間、間違う事もある。否、間違えれるから人間なのだ。弱肉強食という絶対正しいルールから逸脱したからこそ今の繁栄がある。間違うのは人間の宿命だ。だからこそ間違った時の対応を間違ってはいけない。そこで本当に問われるのだから。

以前ヒカルがお母様の誕生日に藤圭子動画を漁っていて、面影平野だっけ?の動画をブクマしてたのに消えて観れなくなって嘆いていた事があった。どうにかしてダウンロードできないかと呟いたら、それは法に触れるから公に呟かない方が的な親切なリプライがきた。それに対してヒカルが放ったのがかの「ダウンロード違法化がなんぼのもんじゃい」である。自分の言動に対してしっかり責任を持つ素晴らしき態度。安直に謝ったりこそこそしたりしない。そこには、触法によって被るペナルティをもってしても自分の母親に対する愛情は揺るぎないという宣言があった。そりゃ法律と母親どっちが大事かっつったら母親だものね。母親の動画は母親そのものではないが、対外的に宣言できる事に意味がある。

ただのツイートですらそうなのだ。練りに練った歌詞に誇りをもたない筈がない。キプトラの国家公務員の時もヒカルは歌詞の説明はしても謝罪はしていない(自分が見た範囲では、だが)。一度世に解き放った、それどころか商業ベースの≒人を雇って不特定多数に向けて売ってさえいる商品に対しては限界まで責任を持つのが子(歌)を生んだ親(作詞家・作曲家etc.)ってもんだろう。野田くんにはガッカ…嗚呼スマン、最初からそこまで期待してねーわ。でも「前前々世」は中々いい曲だよね。作家が何をしようが歌の価値は変わらない。