無意識日記々

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規範意識とセンサーシップ1

えぇっとですね、昨夜はサッカーワールドカップロシア大会のグループリーグ最終戦がありましてね、結果日本代表がポーランド代表に0ー1で敗れまして。しかし同組のセネガルと勝ち点得失点総得点直接対決と総て並びまして最終的にフェアプレイポイント(イエロー&レッドカード累積数)で2ポイント上回り日本が同組2位で決勝トーナメントに進出しました。

で。その日本ポーランド戦の内容がしょぼかった。途中日本がこのまま0ー1で負けてイエローカードも貰わなければ決勝トーナメント進出とわかった時点で長谷部を投入して負けてる方の日本が時間稼ぎに入った。まぁ観てて面白いもんじゃないよね。

でこの試合に対するWeb世論が二分してる訳ですよ。「日本は世界に恥を晒した」ってのと「サッカーじゃ当然の戦略。よくやった」ってのと。

つまり日本が悪いとか悪くないって言い合ってる訳。特にワールドカップは視聴率50%という、殆どの視聴者が普段サッカーなんて見ないもんだから終盤での時間稼ぎとか慣れてない。いや負けてる方が、ってのは確かに珍しいんだけどね。

試合内容に憤るのはよくわかる。あたしも観ててつまんないと呟いてた。でも、その矛先が日本チームに向くんだよね。責める方も擁護する方も。日本が悪いか悪くないかって話になってる。

悪い悪くないでいえば、あたしから見たら明らかにこんな試合をせざるを得ない状況を作ったサッカー及びこの大会のルールが悪いと思うんだけどそういう声が驚く程少ない訳ですよ。

日本人は、と言っていいのかは知らないけれど、どうにも「つまんない状況が生まれたらルールを変えて面白くなるようにしよう」っていう発想を生みにくい。ルールを絶対とみて、いや、みてすらいなくて、それは決まったものとして盲従するか、或いは悪ぶって反発して破るかの二択になりがち。なぜかルール自体は疑われづらい。勿論、長い目でみればルールを変えながら前に進んではきてるんだけど近視眼的な立場でとっさに「これはルールが悪いね」とか「じゃあルール変えよう」とかが出てこないのよね。

こういったルール意識、或いは規範意識についてヒカルがインタビューで興味ある発言をしている。私なりに要約すれば「私は自分が感じるままに行動してるだけ。人を殺さないのは、自分がそれをすると気分が悪くなるからやんないってだけで、ルールで決められているからじゃない」って感じ。

これが言えるのには様々な条件が必要で、その条件を検討する事でヒカルの歌詞に対する意識を掘り下げて理解できるようになる。

注目すべきなのは、そういったヒカルの自分に対する「規範意識の無さ」を自覚する発言がある一方で、「歌詞に対するセンサーシップ」についても発言している点だ。センサーシップとは、まさに「ある言い方が歌詞として用いていいか悪いか」という基準であって、まさに歌詞における規範そのものだろう。こういう表現をしたかったけどセンサーシップに引っ掛かるから使えないんだよね、っていう事があるのならそれは自分にとって気分の良いものと規範にとって良いものにズレがあるって話なので、まさしくこれがヒカルに(当然)起こり得る筈の問題なのだ。

ポイントは…って長くなったな。この続きはまた次回に。