無意識日記々

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おしえてえらい人

Jpopのフィールドで「プロデューサー」という言葉のニュアンスが若干スライドした瞬間は、1993年くらいだったかな、小室哲哉trf(当時は小文字表記だった)のプロジェクトを発動させたのが契機だった気がする。

勿論彼の「TKプロデュース」がいちばん有名だが他にも「つんくプロデュース」とか「小林武史プロデュース」とか幾つかミリオンサイズで有名なプロデューサーが居た。結局最終的には(音楽が手段の末席になった)「秋元康プロデュース」がいちばん規模が大きくなりましたが。

という訳でこの四半世紀においてもJpopのプロデュース、プロデューサーという言葉の語感は小さくスライドを続けてきましたが、依然揺るがない共通項があります。それは「プロデューサーはえらい」という事。

「小学生か!」と言われそうですが、この点は本当に変わらない。どんなスタイルであっても、プロデュースされるミュージシャンたちはもれなくプロデューサーを尊敬しています。恋人を2人も3人もデビューさせた小室哲哉であっても、もれなく彼女たちは小室哲哉を尊敬していた。一時的だろうが何だろうが対等なパートナーとなっていた時期であっても彼女たちにとってプロデューサーの小室哲哉は「えらい人」だった。

つんく秋元康は言うまでもないでしょう。絶対権力。そりゃもう本音はどこにあろうと尊敬してますって言うしかないよね。まぁイヤだったら辞めればいいだけだからね。

でまぁ何が言いたいか薄々気づかれてるかもしれないけど、なりくんってヒカルを尊敬してる素振りをほぼ見せていない。馴れ馴れしいタメ口で対等以上の立場で歓談している。ここに違和感を持ってる人も多いのではないか。

いい悪いの話ではない。そういう状況にみんな慣れてないんじゃないかなって。16歳でダウンタウンに『バリバリ日本人じゃん!』って言い放ってた誰かさんのあの感じとはまた別の違和感。

キャリアも実績も才能もルックスも財力も知名度もあるもこれもかなりのポイントでヒカルの方が優れているのは明白なのにあの尊大な態度を崩さないのは1人の人間として寧ろ理想的だと私には思える。「自分みたいなもんが」と卑下しない人間を相手にするのは気が楽でいいのだ。

が、なりくんの言動はちゃんと不快なのが面白い。ヒカルに対する態度もそうなのかもしれないが、私にはラジオでの1人喋りが抜群に不快だったのが印象深い。多分、この人は根本的に、少なくとも今の時点では人前で喋ると色々とまずい人なのだ。

何がいちばん不愉快かというと、他者を不快にさせても何とも思わないフリをしているからだろう。実際そんな風な事言ってるよね。が、フリだろうが何だろうが、普段の生活で他者を不快にさせると残念に思い、他者を喜ばす事が出来た日は機嫌がいい、というような日々を送っている人にとってなりくんは「いちばん関わり合いになりたくない人物」だ。しかも彼は何故か自信満々だから始末が悪い。そもそもの生きる意味の違う人間と接触してはならない。

で、宇多田ヒカルファンにはこういうタイプが図抜けて多い。傍若無人を絵に描いた私のような人間ですら、日記を読んで楽しめたと言われたら嬉しい(一方で尊敬しますと言われても「あぁそう」位にしか思わない<ここらへんが傍若無人)し、誕生日プレゼントを贈って喜んで貰えれば嬉しい。実にシンプルな事なのだが、この断絶はマリアナ海溝よりもずっと深い。宗教レベルと言っていい。

宇多田ヒカルはその頂点に立つ人で、どう転んでも他者の感情を汲み取って共感してしまう。凄い才能だしだからあそこまで優しい歌が歌えるのだが、そのヒカルの生活になりくんみたいな異星人が入ってきたら…面白いでしょ、そりゃ(笑)。なかなかそういう人間の話を聞く機会がなかったから今、こうやって色々と分析を始めてるんじゃないかな。引き続き座談会に期待だ。