無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

むきづらくてむきっとむきになる

『初恋』、内容に関しては圧巻としか言いようがないので文句をつけるとしてもかなり準備が必要?ってのも妙な表現だけれどもそれなりに覚悟が要りそう、な位に充実している。それはいい。

が、CDを買ってきて聴こうと開封しようとした時に残念な事があった。「シュリンクが剥きづらい」のである。包装ビニールが破けなかった、っていうやつだな。

ほんの些細な事である。カッターかハサミ、或いは爪切りや刺抜きでもいい、ほんのちょいと切り込みを入れればすぐに開く。結構どうでもいい話だ。

が、私はそこで必要以上に落胆した。「斜陽産業の象徴だな」とすら思った。何故なのか。

日本の包装文化は凄まじい。日常の贈り物から駄菓子の開封に至るまで。この30年、「包装の開封」がどれだけ進化してきたかを目の当たりにしてきた。同じスナック菓子でも、日本の袋と欧米の袋では開け易さがまるで違う。若い人はピンと来ないかもしれないが、昔の包装は単に包んであるだけだった。それが「こちら側のどこからでも切れます」あたりからいやまぁどんどん親切に至れり尽くせりになっていった。特に食品関連は中身が中身なだけに「開けようとしなければどんなに力がかかってても破れないが、開けようとするとあっさり破れる」という相反する要求を悉く実現してきた。しかも安価で。多分、まだこの"文化"に追随できている国は居ない。

CDもそうだった。欧米からの輸入盤は「シュリンクしてあればそれでいいだろ」とばかりに機械的に包装してあるだけで、開け易さに対する気遣いなど微塵もなかった。一方日本国内盤は親切設計。ここをつまんで引っ張ればするりと剥けますよとまぁ心地よかった。

その、自国の誇りたるべき(私がこういう表現使うとなんか可笑しいな)シュリンク包装が今回"退化"した訳だ。競争の激しい業界はどこで差別化をすべきかと躍起になって付加価値をつけにくるもので、包装のアドバンテージもまた同業異社への牽制たりえるのだが、ことCD業界に関してはもうその熱意がないという事だ。そんな所に力を入れようが入れまいがどうせ結果は変わらない、と。それが今回の「シュリンクの剥きづらさ」として表れてきたのではないか、指がひっかからなくて苛立った一瞬でそんな事を考えたのだった。

普段生活していると色んなものを開封するが、最近関心する事は多くとも(開封後シールつきとかさ)、ガッカリする事など皆無だった。なのに殆ど唯一の落胆が宇多田ヒカルの新作CDという商品だったのが何とも切ない。未開封含め複数枚購入してる身としては特に。

気にし過ぎ、と言ってしまえばそれまでだ。が、これがCD業界全体の衰退に起因しているのではなく、SONYの品質管理の問題だったとしたらプロジェクトの責任である。ほんの小さな事だが、そこまで行き届いてこその品質だ。その信頼の積み重ねに今回小さく失敗した。尾を引かない事を祈る。