無意識日記々

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8年ごしの叙述トリック

言い訳。

ヒカルが「『パクチーの歌』が仮タイトルだとは一回も言った事がない」と言っていたのは恐らく事実で、2010年にU3のちえちゃんがその歌の存在を示唆して以降そういう発言はない。一度、つまりヒカルは嘘は言っていないのだが(嗚呼、なんか得意気などや顔が浮かぶわ)、ではなぜ我々は『パクチーの歌』を仮タイトルと思い込んでしまっていたのか。

理由は、過去の数々の仮タイトルの"傾向"にある。『Day Of Nattow』『安くておいしいみかん』『SHOPPAI MISOSHIRU』など、「なぜ今そこでそのチョイスなの!?」と言いたくなる"食品名シリーズ"が歴代の仮タイトルには存在した事と、「資本主義者の歌」「サラリーマンソング」という「〜のうた」という絞め方が如何にも仮タイトルっぽかったからだ。決して思いこみから『パクチーの歌』を仮タイトルと判断した訳ではないのである。昔から曲の仮タイトルを細かくチェックしていたような(少々ストーカー気質な(笑))ファンであればあるほど騙され易かった、ともいえる。

それをヒカルが認識していたとしたら「そんなん、そこでパクチーの歌でよろしければ、って言われたら仮タイトルと思うやんか」となるのは目に見えていた訳で、ある意味叙述トリックを仕掛けられていたのに近い。つまり、嘘はついてはいないんだけど、真実とは違った解釈の方に誘導しようとはしてたんじゃないかという疑いは免れ得ないのではないか。まぁ、問い詰めたってしらばっくれられたらどうしようもありませんが。

しかしこれで無事世に出た『パクチーの唄』が本当に2020年東映東宝配給で公開が決まったというシン・エヴァで採用されたりしていたら、どんだけ長いスパンで冗談と本気を織り交ぜながら発言してきたんだ、ってなるよな。劇中のラジオから流れてくるとかでもよいよ。クライマックスに児童唱歌を流した映画なんだから何でもありだろう。まだまだ物語は終わらな、い?