無意識日記々

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コンサート一緒に作ろう融けるけど

もう答を言ったようなものなんだけど、わかりにくいかもしれないから念を押すと、ライブの価値は「貴方がそこに居ること」だ。なかなかピンと来ないかもしれないが、「目の前にヒカルが居ること」と同じかそれ以上に価値がある事だ。

それはつまり、否応無しに貴方がライブに影響を及ぼせるという事でもある。なかには、Hikkiに返事をしてもらおうと必死に自己アピールを続ける人も居るし、なかには、もう自分の姿が見えていなければいいのにとばかりに、ステージ上はおろか周りの聴衆からも全く無視されていたい、静かな環境で音楽を楽しみたいと思っている人も居るだろう。どちらも会場の雰囲気に影響を与える。黙って静かに座っている人も、もし仮に他の人がその席に当選する世界線があったとして、そこではショウを盛り上げようと声を出し続ける姿が在るかもわからない。そちらの世界線からみたら、「静かに黙って座っている人」の作る雰囲気との差は歴然だ。歴史はどちらかを選ぶのである。或いは、更に他の誰かかもしれないが。

良い悪いなど何もない。それぞれの楽しみ方があるからだ。そして、常に葛藤と軋轢は存在する。静かに楽しみたいと思っている人にとっては立って騒いでいる人は歌がよく聞こえなくなる騒音でしかないし、盛り上げようとしている人にとって黙って座っている人は場の雰囲気を下げるマイナスファクターでしかない。どちらからみるか、だ。

クラシックのコンサートのように明らかに聴衆同士のコンセンサスが取れているような場合でさえ揺らぎは存在する。ああいう場面で声を出して笑っていいものか、手拍子の他に足まで踏み鳴らしたらやりすぎかな…まぁ大体は纏まっているんだけど。

ヒカルのコンサートでは、未だにそういうコンセンサスがないだろう。ライブ自体8年ぶりだし、誰がどう雰囲気を作っていくかが楽しみだ。また座って聴くか立って騒ぐかで論争が起こるのだろうな…18年経ってもまだそれをやる。ふむ、珍しいかも。

ライブ会場に居る貴方はその雰囲気作りの一旦を担う。たとえ2時間寝ていたとしても。コンサートチケットは、つまり、「宇多田ヒカルと一緒にライブコンサートを作り上げる権利」であって、これはどれだけライブビデオ/DVD/Blurayを購入しようと決して手に入らない。その場に居ないと始まらない。確かに影響力は1万分の1とか2万分の1とかかもしれないが、ヒカルに「お誕生日おめでとう」と言われて「キャーッ!」と悲鳴を上げるのもまた2万分の1でしかない。それが名場面を作る。

貴方はコンサートの一部になる権利を手に入れる。ただ鑑賞をしたい、歌に聴き入りたい、ライティングを堪能したいと思っていても、そこで思わず漏らした嘆息が何万人分も集まると結構凄い事になるのだ。いい音いい映像も大事だが、「貴方がそこに居ること」の意味は計り知れない。ただその場に居合わせるだけでなく、宇多田ヒカルの創作過程の一部になれる。この光栄と緊張の前には、チケット代が幾らかとかは霞んでしまう。…たとえばキッチンでエプロン姿のヒカルと一緒に晩御飯を作る場面とか考えてみ?(笑) そういうのを数万人でまとめてやると考えたらそのスペシャル感がわかるんじゃないかな。心してチケット応募申し込んでくださいな。