無意識日記々

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『久しぶりに開いたアルバム』

1〜2歳のこどもが行方不明になってから68時間後に発見されて助かったニュース、色々と凄いねぇ。助かったのは本人だけでなく、関わった人たち皆さんですが。救われた、と言った方が、いいのかな。

「2歳のこどもが何百メートルも離れたあんな山中に1人で行ける筈がない」というコメントが視界に入る度に、「年齢の感覚ってアテにならないなぁ」と思い。自分が2歳ん時だったら好奇心の赴くままどこまでもチョロチョロと移動し続けたろうなぁというのがこちらの感覚で、まぁ彼我の差異と申しますか。

年齢に対する感覚で、"損をしている"のが宇多田ヒカルさんだ。20年前は「15歳の女の子がこんな詞曲を書けるだなんて」と年齢を引き合いに出して絶賛されてたが、真相は、いつも言っている通り「何歳になっても普通こんな曲書けない」であって、ヒカルの突出した能力にそもそも年齢なんて関係ない。それはもう徹頭徹尾、最初から最後?まで徹底して凄いだけだ。

なぁんていう"背景"を思い浮かべながら『Good Night』を聴いていると、『僕は思い出じゃない』とか『この頃の僕を語らせておくれよ』といった歌詞が、ヒカルの直の気持ちから出てきてるんじゃないかという"邪推"をしてしまう。『初恋』という名のアルバムを出した以上、『First Love』と比較されるのは重々承知の上だろうから、寧ろその邪推で導かれた感情すらもヒカルにとっては過去かもしれないが、"かつてはそう思っていた"可能性も十分にありえる。

そう解釈したら『久しぶりに開いたアルバム』のアルバムがCDアルバムの事のようにも聞こえてくる。久々に『First Love』を引っ張り出してきて聴いている人に対して『無防備に瞼閉じるのに夢の中に誰も招待しない君』の一節はまるで『In My Room』や『Another Chance』への返答或いはそれらの続編のようにも聞こえてくるのだから人間の耳というのは…勝手なものだな(笑)。

一人称を『僕』に変えるだけで、仮に歌の中で"本音"を歌ったとしてもヒカルに真意を訊いてくる機会は激減する。ヒカルはそれを百も承知だろうから、なのに敢えて「そんなのは下着の色を訊くような質問」とわざわざ(恐らく事前に考えてあった)そんな喩えを用いてまで言及するっていうのは、きっとまだまだ隠している"更なる本音"がヒカルにあるんじゃないだろうか。それが何なのかはわからないけれども、『特技:惑わす事』精神は相変わらず健在だ。