無意識日記々

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神様といってもデンデじゃないぞ

『誓い』では『光』からの『約束』が『誓い』に変化した点が話題になって、いるだろう。まだ私話題にしてないけど。それは追い追いとして、まず単純に、約束は他人とするものだが、誓いは神に対してするもの、もっといえば、誰に対してでもない、自分自身に対してするものだというのが押さえるべきポイントに、なるだろう。

「願い」と「祈り」の関係もそれに近く(同じとまではいえない)、祈るというのは外側への影響を考えるというよりは、自分自身の内面に降りていくような感覚を伴う。

英語の挨拶は基本的に祈りである。“good morning”は“I wish you have a good morning.”であり、“good night”も同様に「あなたに良い夜が訪れますように」の意味である。では“goodbye”は? “bye”って一体何に祈っているの?

検索すれば答えはすぐ見つかる。“goodbye”は“I wish God be with you”の略であり、これだけ異質なのだ。しれっとgodをgoodに変化させて私も他の挨拶たちと同じなんですよーという顔をしているのだ。

『Good Night』の2番でヒカルは『Goodbye』と言い切るのを何度も躊躇う。これは、『君』のことを神様に頼り切ることへの抵抗感がそうさせている、と解釈するのは流石に穿ち過ぎだろうか。それについて考えるには、ここまでヒカルが歌詞の中で「神様」をどう扱ってきたかを捉え直す必要があるだろうね。以下また次回。