無意識日記々

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思想と情景が溶け合う彼方で

『夕凪』の印象的な場面の一つに最後のピアノが消えた後のシーンがある。『全てが例外なく 必ず必ず 何処かへ向かいます これまでと変わらず』の所に『波が反っては消える』が何度も被さってくる、あそこだ。

この手法は今までになかったものと言えるのではないか。歌が重なる場面は過去に幾つかあった。ライブで、録音されたヒカルのヴォーカルを使っている場面はほぼそれだ。だがこの『夕凪』ほどまるごと被せてきたのは珍しい。

最も近いやり方をとったのは『Kremlin Dusk』だろう。この曲のラスト間際では『Born in war of ...』という力強く理屈っぽいラインを高々と歌うヴォーカルと、『Is it like this ...?』を虚ろに低く歌うヴォーカルとが重ね合わされていた。あそこは激しい感情と落ち込んだ心境の対比となっている訳だが、『夕凪』の方は抽象論を歌うヴォーカル(『全てが例外なく〜何処かへ向かいます』)と、視覚的なイメージを歌うヴォーカル(『波が反っては消える』)とを組み合わせている。

これは、アルバム『初恋』ならではの特徴なのかもしれない。既に解説した中だと、タイトルトラック『初恋』がある。あの歌ではAメロで一般論、Bメロで特殊論・固有論、サビで具体的な情景を描くという風に歌詞の中でそれぞれの節の役割が明確に決まっていた。これを、『夕凪』では時間的に並べる(Aメロ→Bメロ→サビ)のではなく同じ空間の中に同時に響かせる。

これによる効果は何だろう。それぞれの聴き手の印象が答でいいとは思うが、ひとつ言えるのは、ヒカル自身にとっては抽象論も具体的な情景描写も言葉の機能の一つとしては同じ、或いは平等と言ってもいいかな、違いのあるものではないのである。そして、それがこの『夕凪』という曲のテーマそのものなのだ。曲中で何度も『全てが例外なく』『真に分け隔てなく』と歌っているように、生命だけでなく、異なった機能を持つ言葉同士ですら同じ“海”の中に等しく溶け込んでゆく。確かに、我々がこのパートを耳にした時に感じる思想と情景の重なり合いは、終局に至ることで、言い方は悪いが「有耶無耶になったまま」曲が終わる。その唐突な余韻もまた、歌詞にある通り『今にも終わ』る事で生まれている。この歌にも多分に自己言及的な側面が含まれている訳だ。やはり、ヒカルの歌詞は侮れない。たとえ、本人にそのつもりがなくてもな。