無意識日記々

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セトリの常識を当て嵌めるか否か

ツアーで気になることといえばセットリストた。一体どういう選曲になるのやら。

難しいのは『Fantome』からの楽曲の扱いだろう。まだ同アルバムをリリースしてから一度もライブを、やっていない。しかしながら最新作というわけでもない微妙な立ち位置。ファンの気持ちもどこらへんにあるのかよくわからない。

20周年というお題目があるのにツアーでの積み重ねが希薄だからその厚みは聴衆の思い出頼りになる。要は、例えばもっとツアーの多いアーティストなら『Automatic』は“お馴染みの”楽曲になっているだろう、ライブで聴き慣れた曲という意味で。しかし実際は今回のライブ、『Automatic』を生で観るのは生まれて初めて、という層が大半を占めるのではないか。一方で、ただ接するだけならそれはもう何百何千回と耳にしている楽曲でもある。つまり、ライブの盛り上がり方は、ライブでの慣れより個々の思い入れと思い出に依るところが大きくなるだろう。

考え方によっては、20周年を迎えようとしても未だにリアクションがフレッシュでヒカルとしては毎回新鮮な気持ちで舞台に上がれるかもしれず、それは同じベテラン勢と比較しても幸せなことなのかもしれない、ともいえる。そこはわからない。

そんな感じなので他のアーティストに較べて昔の曲と今の曲の間の垣根が低いというか。最早『Fantome』からの楽曲も『初恋』からの楽曲も、『Distance』からの楽曲や『DEEP RIVER』からの楽曲と同様にフラットに選曲していいのかもしれない。

つまり、『Laughter In The Dark 2018』は、『初恋』のリリースに伴うツアーというよりは、相変わらず『Utada United 2006』と同じように「今までの集大成」というコンセプトのツアーと見做されて選曲してくるのではないか。通常の“常識”である「新譜発売直後のツアーは新譜からの選曲を中心に」というのは、常に新譜を出す度にコンスタントにツアー出来ているミュージシャンとそのファンに当て嵌まることなのであって、宇多田ヒカルはそれにはあたらないのだ。ただひたすらベスト選曲をするだけのライブを披露してくるのではないか。そう読んでいる。

でもだからって諦めきれない楽曲が『Fantome』と『初恋』には多過ぎる。これから何十年もかけて「ライブで歌ったことのない歌はない」と言い切れるほどにツアーが積み上げられていけばよいのだが、それこそ夢物語なのだろうかな。でもそんな先のことよりまずは今年のツアーが成功しないとですね。