無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

あのページ

『Message from Hikki』と共に最初の10年を歩んできた者にとって、今は「リズムが掴めない」に尽きる。あのページは時にリリースやライブよりも影響力を持っていた。極端な例だと歌は興味なかったけどメッセ読んでファンになったという人も居たくらい。この日記だってあのページが無かったら存在しなかったと断言出来るので、やっぱり影響力は大きいです。

ノスタルジーに浸りたい気持ちがある事も否定できないかもしれない。でも、ただ我々は「今のヒカルの言葉」を浴びたいだけだ。期間限定の筈で始まったTwitterももう8年になる。どれだけ助けられたかわからないが、メッセの代わりになっているかといったら、Noだわな。

今のオフィシャルページのメッセの扱いは悲しい。何が悲しくて技術の発達した2018年の今、アクセスしにくいページがあるからと紹介する際にスクショを撮らねばならんのか。ヒカルのファンを繋ぎ止めてきた“功労者”に対して、余りにも酷い仕打ちだ。

『線』を出したからいいじゃないかと言われそうだが、あれは2009年3月の出版だ。完全版ではない。もしあのページが終焉したというのなら、敬意を払って完全版をリリースすべきなんでないの。売れない? 電子書籍でもいいよ。今のアクセスしづらいオフィシャルを補完してくれるのだったら買う価値ありまくりである。

ヒカルが書く気がなくなった。それはいい。書いたり書かなかったりも含めて自分のペースで更新する自由があったからあのページは聖域だった。ただ伝えたいという情熱に従って言葉を綴れる自由。ヒカルが書かないのを選択するのもまた自由でなければならない。

だが、それの恩恵を受けた周りが蔑ろにしていい問題ではない。あのページへの冷遇は今や最近燻っているオフィシャルに対する不信感の象徴になっている。長年のファンは特にそれを痛感している。顧客を大切にすると言うのなら(言ってないかもしれないが、仮に言うのであれば)まずあのページへの処遇を改善すること。信頼回復への第1歩となるだろう。どう思っているのか、見させて貰いたいものだ。でもまぁ、ツアーが一段落着いた後だわね…。