無意識日記々

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#裸婦抱く 公演の中でも非常に特別な時間

SAKURAドロップス』がその人気の割に存在感がそこまででもないのは、曲調が内向的で、各人の心の繊細な部分に触れるからだろうというのが前回の話だった。

ではそのような曲はライブの中でどのようなアプローチを取ればいいのか。『In The Flesh 2010』と『WILD LIFE』ではアレンジに変化をつけ、やや大人びて落ち着いた方へシフトさせて他のバラード群との差別化を計っていたように思うが、今回の『Laughter in the Dark Tour 2018』では原点に還るというか、それこそ眼前にあのミュージックビデオの風景が広がるかのような歌唱を披露してくれた。ただ、『COLORS』でも同様だったが、語尾の部分を空に放り投げて余韻を空中に漂わせるような事はせずに叙情を落ち着かせる方向へと旋律を選んでいたのも印象的だった。高音が出ない訳ではなく、寧ろヒカルの“趣味”がやや変わったのかもしれない。「叙情に責任を持つ」と表現すると堅苦しいが、メロディの流れが生む感情をよりコントロールしたいという風に変化している気がする。

で、だ。この歌にも確りとサプライズが仕込まれていた。完璧に近い歌唱を披露した後、ヒカルがキーボードの前に立ったのだ。宇多田ヒカルによる即興主体のキーボード・ソロ。全くそんな方法論を想定していなかったのでかなり面食らった。思わずステージ全体を双眼鏡で見渡して今それぞれのメンバーがどんな風に楽器を演奏しているか確認しようとした。残念ながら照明が暗めだった為、『SAKURAドロップス』のエンディングで奏でられたキーボード・ソロのうちヒカルが弾いたのがどの部分だったかは判然としない。ラストのラスト、昇降フレーズをループさせて終局を迎える場面では既にヒカルの手は鍵盤から離れていたようにも見えた。ここら辺の詳細もまた放送と円盤待ちです私。何しろその時ステージには鍵盤奏者が3人も居たので、誰がどの音を奏でていたのかよくわからなかったのだ。

しかし主題はそこではない。やや個人的な孤独感、内向的な叙情性をより強力に提示するには、照明の効果も借りつつ“没頭したキーボード・ソロ”を披露するのが効果的だろうと判断したそのセンスこそが光っていたのだ。言葉で何かを紡ぐよりも幻想的・幻惑的な音色で激しく速いパッセージを用いてその“内面世界観”を表現しようというアプローチ、大変興味深かった。こ、の取り組みのお陰で『SAKURAドロップス』もまた『Laughter in the Dark Tour 2018』公演の中で唯一無二の居場所を手に入れたといえる。勿論、年間6位の人気曲というのも大きいのだけれど、この曲に“新しい見せ場”を与えられたのは大きかった。次のツアーではまた更に進化した姿を見せてくれるのではないだろうか。同曲発表当時はこんな所まで連れて来てくれるとは夢にも思っていなかった。これから更に遠い境地に連れて行ってくれるに違いない。公演の中でも、非常に特別な時間を過ごす事が出来ました。