無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

#裸婦抱く は「ここからが本番」

まさに「ここからが本番」だった。前に書いた通りセンターサブステージに在るのはヒカルだけで、虚空の闇にヒカルの背中だけが煌々と燦めいている様は幻想的に過ぎていた。

私の席からだとヒカルの後ろ姿が右手側にあり、歌声と演奏の音が左手側即ち舞台上から流れてきていてそれは不思議な感覚だったが、浮世離れそのもののヒカルの背中を見るとその不思議さすら掌の上なのかという感覚が浮かび上がってくる。その身体の輪郭は神様じみていた。

後半1曲目は『誓い』だ。誰が聴いても難曲でしか有り得ないこのアルバム『初恋』のハイライト曲のひとつをヒカルは全く淀みなく朗々と歌い上げてゆく。テレビで同曲の歌唱を披露した時にはファン以外からも「こんな難しい曲を歌いこなすなんて」という驚愕の呟きがあったが、この横浜アリーナでの歌唱はそのテレビで聴かれた以上の出来映えだった。声に込められていた迫力はCDに収録されているスタジオ・バージョンをも上回っていた。

特に連発される『ない』の力強さは印象的だ。スタジオ・バージョンでも相当なものだったが、レコーディング・スタジオよりも遙かに広い空間で遠くの人々に届けるシチュエーションだからなのか発声に全く遠慮がない。これだけ力を込めて歌ってしまってはこの後のパフォーマンスがボロボロになってしまってもおかしくないのではと頭を掠めたが勿論そんな事態には陥らなかった。寧ろここから更に曲を経る毎に歌声の力強さは増していったのだ。

異次元とか宇宙人とか、突飛な形容が頭を駆け巡る。歌唱技術やステージでの歌手としての存在感も相当なものだが、何より兎に角“曲が強い”。『誓い』という楽曲の強度が、1万7千人を飲み込める会場の端々にまで空気の色を変えるかのように広がっていく。そのつもりもないのにまるで空間を支配してしまうような、そんな強さ。宇多田ヒカルの歌唱を媒介としてこの曲の持つ生命力がビリビリひしひしと伝わってきた。何度でも言う。異次元の楽曲だった。技術ではない。音楽の、歌の力をそのままダイレクトに表現した事による結果である。釘付けになるしかなかったわ。


…少し筆圧が強くなってしまった。しかし、何が恐ろしいって、このテンションが後半ずっと続いてしまうのだ。アホか。耐えられんわ。しかし耐えきったので私はこうやって今その時を振り返って書けている。もう1ヶ月が経っていてその時の興奮なんて微塵も残っていない筈なのに、思い返してしまうと、こうなる。心と身体に刻み込まれてしまった歌の痕。もう暫くその傷をなぞる旅にお付き合いくださいませませ。