無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

#裸婦抱く 三回目のMC

『ありがとう!』


(場内長い声援。やや言葉に詰まる。咳払いをひとつ)


『えっと、次ので最後の1曲になってしまうのですが。』(場内控えめなブーイング) 


『とにかく、、、』(場内から「がんばれ!」の声。長い拍手。)


『ありがとう。ホントにステージの上に居ると、私8年間全くライブ的なというか、全くやってなくて。ホントに昨日ひさしぶりにステージというものの上に立って。昨日は昨日でちょっといっぱいいっぱいで、わーっ!って終わっちゃったみたいな感じがあったんだけど、今日は今日で、もうちょっと総てを、ちゃんと自分もこう、、、なんて言うんだろう、噛み締めてるかなーと思いきや、やっぱりステージに居ると、凄く時間が経つのが速いです。なんか、またこういう場所に立てて、凄いなんか普通のこと言っちゃうけど、今まで頑張ってきてよかったなって。(笑)』(場内笑いとともに拍手)


**** *****


『初恋』での熱唱の後にこれである。こうみえて宇多田ヒカルという人はセルフ・プロデュースに長けているので、自分がどういう魅力を振りまいているのかよくよくわかっているのだ。でなければ、メッセ時代からあんなに自撮りが上手い筈がない。

ヒカルの写真や動画を撮るのはプロでも難しい。私が見る限り、まともに撮れてると思うのはきりやんとくーちゃくらいである。他の人たちは悉く外している。その中で映像や写真は素人の筈のヒカルが自撮りでプロを圧倒するのだから「わかってやっている」としか思えない。ヒカルの素の魅力が爆発するミュージックビデオといえば『光』と『Goodbye Happiness』だが、後者の監督は宇多田光自身である。客観的に自分の魅力を知っていないとああは撮れない。

そんなプロデューサーであるヒカルがこんな朴訥なMCを放置しているだなんてどういうことだ。何度も言うが、この低クォリティのMCはショウの演出上は弊害でしかない。理由として考えられるのは

1.敢えてそう喋ってる
2.MCの演出まで手が回らなかった

2の方はわかりやすい。弦楽隊の楽譜まで自分で書いてるのだ。歌で手一杯でMCの台詞なんて後回しになってしまった。これならまぁ仕方がない。

1は更に分けられる。

1ーα.演技
2ーβ.素

演技だとしたら相当上手い。誰もあざといとかわざとらしいとか言ってないのだから。しかし、これはないかな。又吉フィルムでの演技からして。

素だとすれば無策極まるが、それってできるもんなんだろうか? 打ち合わせで「私って素のMCが期待されてるから何も考えずに喋るわね」ってコンサートの座長が言うのかな。なんだかおかしい(笑)。

ま。これで成功してるんだからいいやね。完成度の高い“エンターテインメント・ショウ”を期待していた人は残念でした(笑)。