無意識日記々

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#裸婦抱く タグそろそろいいかなぁ

さっき気付いたんだが、ショートフィルムが終わってセンターステージにヒカルが登場してまず歌い出す曲が『誓い』なのは、センターステージ付近の席に居た人達が「近い!」と叫ぶだろうから、という渾身の駄洒落なのでは…ないですかねえ、、、ないですね。


まぁそれは置いておいて話を戻すと。ヒカルのMCとパフォーマンスの間でコントラストがハッキリしているのなら別にいいのだ。喋り始めると初々しく辿々しく今まで頑張ってきてよかったとかひさしぶりとか20周年とか庶民的な事を話してるんだけど、いざ歌い出すと凄まじい気迫と集中力でパフォーマンスを…というギャップ萌え。それならわかりやすい。

違うのだ。ヒカルは歌ってる時もずっと肩を震わせたり目を潤ませたりと感激しっ放しだったのだ。ところがこれが歌に、音に殆ど出ない。目を瞑って音だけを聴いていると自信満々に今の私を見て&私は過去を振り返るような女じゃないから&昔の歌も今に合わせてアップデートしてあげるわと言っているかのように感じられる堂々としたパフォーマンスをしている。しかし一旦目を開けて舞台やスクリーンを見てみると泣き出すのを堪えてるようにすらみえるヒカルがそこに居る。

そういやこの子は昔からコンサートでは感激屋さんだったなー、と私は2004年の2月10日を思い出していた。『ヒカルの5』最終日、ヒカルは序盤から明らかに様子がおかしく結局アンコールの『幸せになろう』を歌っている最中に泣き出してしまって一旦演奏を中断して舞台袖に引っ込んでしまったのだ。その後戻ってきた時に生まれたのがあの名言『鼻水出ちゃった』なのだが、それはいいとしても今回の『Laughter in the Dark Tour 2018』横浜公演では、見た目は確かにその『ヒカルの5』最終日と同じように今にも感極まって泣き出しそうになっていたりするのに歌にはほぼ影響が出ないのだ。ヒカルのコンサート中に目を閉じて音だけに聴き入る人は少ないので共感は余り得られないかもしれないが、実際にその“新しいギャップ”を体感した身としては、今のヒカルは昔と同じなのか変わったのかそれすらもよくわからなくなっている。

繰り返すが、「歌い出すと豹変する」というありがちな展開ではないのだ。見た目はずっとMCの間も歌っているときも挙動不審な感激屋のお嬢さんで、聞こえてくる歌だけが圧倒的なのである。そのうち映像作品も皆の目に入ってくるだろうからその時確認してくれればいいと思うが、この乖離は尋常じゃない。この人の魅力の根幹に関わる問題だ。でも別にそれで俺一切困ってないんだよね。「そういうもんだ。」と飲み込んでしまえば何の問題もない訳で。うだうだ言ってるけど気分は気楽なもんなのよ。引き続き考えてはいくけども。