無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

ただの日常、ただの生活の一部。

『光』の横アリテイク、いいよねぇ…アコースティックギターがクリアでストリングスがマーブル。こういうのをシングルのカップリングに入れてくれたらいいのに。今回はもういっぱいいっぱいだけどね。曲入れ過ぎるとミニアルバムになっちゃうから。なっちゃえばいいんだけども。


ヒカルのライブレポを読んでいると「昔の曲が色褪せない」という表現をよく見掛ける。何か感覚が違うなと思ったら、そうか、普段から私は普通に昔の曲を聴いているからだ。ライブで一曲も「そういやこの曲久々に聴いたな!」という曲がなかった。多分いちばん久々だったのは『SAKURAドロップス』か『俺の彼女』だな…。発売時期とか全く関係なく、“直近に聴いたかどうか”という話でしかない。

聴き慣れた曲でもリミックスやライブテイク、テレビ出演時のパフォーマンスなどをローテーションすれば飽きるなんてことは案外無いし、聴き方でいちばん多いのは「宇多田&Utadaシャッフル」だから自分で選曲するまでもなく程よくいろんな曲を聴く。フルアルバムでよく聴くのはその時の最新作を除けば今でも『This Is The One』で、これは変わらない。いちばん短いから、というお馴染みの理由でね。

こんな人間からすると昔の曲が色褪せるとか色褪せないとかは遠い星の話のようだ。「今日の晩御飯はカレーライスか」「今日の食後はコーヒーにしようか」くらいの感じで再生ボタンを押して生活している人間にとっては、カレーライスが今日もカレーライスの味がするように、コーヒーが今日もコーヒーの薫りを薫らせているように、ヒカルの歌はいつも通り楽しく切なく響いてくる。それもまたただの生活の一部である。


色褪せたのに近い事があるというのなら、曲数が増えた事で初期の頃の曲がそんなに突出した印象にならなくなっていること、くらいかな? 初めて聴いた時は「日本人女子のクセに何このクォリティーは」と希少価値を見出していた気がするが、今やスタジオアルバムが9枚とか10枚とかあるのだ。それを順繰りに聴いているだけで日々が経つ。ホントにただの日常だ。

なので、ライブレポとかでそういう反応をされる事自体が新鮮でね。普段宇多田を聴いていない人達もライブコンサートとなるといっぱいやってくるんだねぇ。当たり前なんだけど(笑)。休業期間の間ってうちらのような普段からヒカル漬けの人間しか発言していなかったから、改めて今は絶賛活動中なんだなーと確かめ直しましたわ。またいつかヒカルも長めのお休みをとるだろうから(産休とかね)、またその時はいつもの皆さん、宜しくお願いしますね。一緒に時を、過ごしましょう。