無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

良し悪しの判断と価値の有無

「音の良し悪しなんてよくわからないから」と謙遜する人を幾らもみてきたが、聴覚の能力ってそこまで極端に差がある訳ではない。音楽の意図を汲み取るには時にかなりの修練が必要だが、音が綺麗かどうかとなんていうのは聴けば大体の人がわかる。手書きの文章を読んで意味がわからなかったとしても字が綺麗かどうかはぱっと見で大体わかる、ようなもんだ。

差が出るのは、「そこに価値を見出すかどうか」だ。有り体に言えば「欲しくなるかどうか」。ここがオーディオマニアと一般人(てどういう人を指すんだろうね)の違いを生み出す。

これは何にでも当て嵌まる。卑近過ぎて紛らわしいが、例えば宇多田ヒカルの歌が上手だとかいい曲を書いているだとか、そんなことはみんな知っているのだ。聴けばそれはわかる。しかし、それを追い掛けようとかお金を払って聴きに行くとかいうところで差が出てしまう。言葉の使い方の区別が難しいが、ヒカルの歌のよさがわからないからCDを買わないのではなく、お金を出してまで手に入れたいと思うかどうかが違うのである

ここの所を踏まえた上で「最新曲のサブスク配信」と「ハイレゾ&アナログのプッシュ」の二正面作戦を捉えねばならない。価値を見出す人間は少々高額でも関連商品を手に入れようとする。ならば売り手側がハイレゾ&アナログで少々ハイコストになっても高音質や高級感に価値を見出す顧客の満足度を上げようとする姿勢を出していけばいい。一方で、「宇多田ヒカルがいいのはわかってるけどお金を出そうとは思わない」という層がサブスクを通してアクセスし始めてくれればこれはかなりの規模が期待できる。まだまだストリーミングで音楽を楽しめるようになって3年とかだからヒカルが相手をすべき何百万何千万のスケールにまでは到ってないかもしれないが、普及すればするほどヒカルに有利にはたらくだろうという見立てはできる。

…なんていう問題意識を抱いて明日のトークイベントに行こうかな、なんて思ってたのだけど、十中八九雪らしいね…はてさて、どないしたもんかなぁ。まぁ寝て起きて窓を開けてから決めますかね。