無意識日記々

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スペシャの最優秀女性アーティスト賞受賞

今度は「SPACE SHOWER MUSIC AWARDS 2019 BEST FEMALE ARTIST」を受賞したそうな。おめでとう。こういう何の他意も無さそうな賞を貰うのは気楽でいいやね。なお最優秀アーティストは星野源で一般投票賞も星野源だそうな。曲は「Lemon」米津玄師。まぁ皆から「そうそう、2018年はそんな感じだったね」って共感を得られる選出の中にヒカルの名前があるのは有り難い。

だが、『Fantome』の時も既にそうだったが、最近扱いが「宇多田ヒカルという名前」≧「楽曲」という感じになりつつあるのが少し引っ掛かる、かな? 何をしても何を歌っても「やっぱ宇多田は別格だわ」とか言われる。今回の受賞だって「宇多田なら納得だ」と思われているだろう。そこまで名を成すのは素晴らしい以外の何ものでもないのだが、極論すると「俺宇多田は嫌いだけどあの歌はいいと思うよ」みたいなことを言われなくなってきているのではないかなとな。

贅沢言い過ぎなのはわかっている。ヒカルの知名度抜きにして曲について語って欲しいだなんてな。でも、そうだな…例えば、誰かに楽曲提供してヒカルの声じゃない顔じゃない誰か別の人にヒカルの作った歌を歌ってみて貰って、それでもいいと思ってくれる人がどれだけ居るか、だ。

宇多田ヒカルのうた』ですら「やっぱHikkiの声じゃないと」と言われたのだから、実質同じ状況に陥る「他人に楽曲提供」も結構険しい道程になろうな。これが本人が売れてなかったら…例えば渡辺美里に「My Revolution」を提供した小室哲哉みたいに自身の活動にポジティブなフィードバックを得られたりするのならやる甲斐はあるが、ヒカルの場合リスクは大きくリターンは少ない。そもそも、なりくんみたいに、ヒカルが興味を持つのはただの歌手ではなく自分で創作する人な気がするしな。とすればヒカルからの楽曲提供は余程時機を見極めない限り“余計なお世話”になりかねないわけで。なんだか本質的な矛盾がそこにある感じだね。

まぁ今は、結局、誰に聞いても『初恋』に続く自身の作品を!と言われるのだろうからそんなことに悩まされる必要は、ないわね。来年もまたこのスペシャの賞を貰えるような活躍を来年度も期待しときましょう。