無意識日記々

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どの時間軸での『つい先程』?

『残り香』をアルバム全体通して初めて聴いた時、出だしの『壊れるはずかない物でも 壊れることがあると知ったのは つい先程』と歌われて自分がした反応といえば、「え、さっきまでの歌の話?」というものだった。

そう、歌の中の物語の話に聞こえなかったのだ。その直前の『壊れるはずの…』の部分が如何にも歌詞らしい歌詞という風で、歌い方も堂に入っていて感情豊かでさぁ歌の世界に没入していきますよというタイミングでの『つい先程』という言葉のチョイス。それに面食らった。

歌というのは大なり小なり演技や芝居が入っている。その中の世界の役割を演じる、というのが多くの場合歌い手と聴き手の間の暗黙の了解、お約束となっている。それを『つい先程』という言葉がさり気なく破ったのだ。

よくいう『メタ台詞』である。例えばギャグ漫画などではありがちな「あと2ページしかないから急ぐぞ」とか、急に物語の世界から飛び出した視点でのセリフだ。それを歌の世界でやったような感じな。

よく似てはいるが少し違う例として『ともだち』の『いやそれは無理』がある。歌のメロディの流れから急に飛び出して素の表情で急に『いやそれは無理』と言うからインパクトがあったが、しかしこれは歌い方の話でしかなく、セリフ自体は歌の世界の中の人のもののままだ。楽曲の中でも必須の流れという訳ではなく、実際ヒカルもテレビで歌った時は普通の歌い方だった。ライブではかなりスタジオバージョンに近かった。要するにどっちでもいいのだこれは。

『つい先程』はそれとは異なる。歌い方はそこまでの流れのままで、言葉のチョイス自体でメタ視点ぽい効果を生み出している。つまり、この楽曲の中では必然なのだ。

とはいえ、これは"個人的な印象"の域を出ない。別に私のように感じる事が必須な訳でもないからだ。しかし、少なくとも自分の場合はアルバムの流れで聴き進む中でヒカルに『つい先程』と歌われると、歌の世界から飛び出して"宇多田ヒカルの視点"から言われているように感じた。

特に『初恋』アルバムは終局の『嫉妬されるべき人生』に向かって収束していくような、アルバム全体としての感覚が強い。それとの相乗効果でこの『つい先程』が機能していると考えると、アルバムにとってかなりクリティカルな一言だったなとかなり重い評価を与えたくなる。皆さんの初聴時の印象は如何でしたか。