無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

珍しくゴシップ記事を取り上げる

皆さん御存知の通り無意識日記では如何にヒカルを取り上げていてもタブロイドやゴシップの話は(他の話題に較べて)控え目なのだけれど、今日読んだ記事は余りにも奇妙なので取り上げてみたいと思う。日刊ゲンダイの記事である。

─ ゲンダイさんがどんなウェブサイト運営をなさっているか失礼ながら存じ上げない。従って、慣例に倣い「新聞記事はパーマリンクではない」という基本に則って全編コピペしておきます。

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引用元URL : https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/249886

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190319-00000012-nkgendai-ent

「超面白かった!」宇多田ヒカルは直撃取材の直後にブログを更新

3/19(火) 9:26配信

青山佳裕【平成芸能界 直撃の30年史】

 平成10(1998)年は当時15歳の少女のデビューアルバム「First Love」が累計765万枚を売り上げる大ヒットを記録した。米ニューヨーク出身の宇多田ヒカル。「新宿の女」「女のブルース」「圭子の夢は夜ひらく」などの藤圭子の長女と知って、藤圭子を聞いてきた世代はまた驚いた。

 宇多田はJポップ界では「非・小室系」という呼ばれ方をしていた。音楽シーンを席巻したプロデューサー小室哲哉の時代は終わり、新たな世代が続々と台頭していく。浜崎あゆみモーニング娘。椎名林檎らで、MISIAやGLAYなど、若い世代を中心に支持を集める。長野五輪の狂騒、NTTドコモの「iモード」のスタートと相まって、新しいムーブメントが音楽シーンにも待たれていたのだろう。

 その宇多田がデビューして間もないころ、日本に帰ってきて、四ツ谷駅近く、企業のテナントが入ったビルにひとりで暮らしているとの情報を得た。直撃取材を試みる。

 ちょうどランチタイムに差し掛かり、現場ではサラリーマン族がちらほらと会社を出てきて、行きつけや目当ての飲食店へと向かっていく。宇多田のいるビル1階にも和食の定食チェーンがあって、サラリーマンが日替わりをかっ込む姿があった。取材が終わったら、ここで飯を食おうか。そう考えながら眺めていると、小鳥のような、女の子が1階のエレベーターから出てきた。

 小柄な、そこらへんにいる中学生かと思ったが、濃い眉毛が印象的な宇多田だ。ちょっと驚いて目で追うと、宇多田は慣れた様子で定食チェーンに入り、ひとりボックス席に座った。そしてサバ塩焼きに納豆、おひたしといった、ごく普通の日本の家庭のメニューを並べ、箸を動かしていく。とってもおいしそうだ。周りのサラリーマンも、まさかミリオンヒットの新歌姫がいるとは思わず、誰も目を向けない。

 食べ終えて、お茶を飲みほした彼女がレジに向かい、現金で会計を済ませる。満足した顔で店から出てきた。話しかける瞬間、ちょっと尻込みした。子どものようでも、当然アメリカナイズされているだろうから、どうしたものか。結局、「こんにちは」とごく普通に挨拶し、ちょっと話を聞かせてくれないかと向けると、こう言った。

「はい、わかりました」

 このころ体調不良で公演を休むこともあり、そのあたりを聞くと「はい、もう大丈夫です」。藤圭子「母」と呼び、父親の音楽プロデューサー宇多田照實さんを「父」。その通りなのだろうが、ごく普通の娘のようにしゃべりだして、また驚いた。

■「母は母なりに頑張って生きています」

「母は母なりに頑張って生きています。ご安心ください」と、ハスキーがかった声できちんとした受け答え。「ヒッキー」と呼んでも笑顔で受け入れてくれた。たった10分ちょっとの時間だったが、まだ何者かよくわからないスターの素顔を垣間見ることができた。

「それでは失礼します」と頭を下げて去っていく彼女をみて、応援したくなっている自分がいた。少女でも十分、人を引きつける何かがあったのだ。宇多田に続いて和食チェーン店に入って、腹を満たし、次の取材先に向かっているときだ。編集者から電話が入り、「宇多田のブログを見てみてください!」と興奮気味に言われた。急いでネットから開いてみると、「青山さんて記者さんに直撃されちゃって、色々聞かれてしまいました」とあり、「超面白かった!」と楽しそうに書いてあった。直撃から2時間後だったか、SNSで自分のメッセージを発信する新世代の登場を目の当たりにして、空を仰ぎ見たのを覚えている。

(聞き手=長昭彦/日刊ゲンダイ

あおやま・よしひろ▽1954年、東京生まれ。美空ひばりの時代から取材歴40年。現在も週刊誌などで活躍するベテラン直撃記者。

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大変好意的な記事に読める。嗚呼、宇多田ヒカルはベテラン芸能記者すら魅了するのか、大したものだな、と。デビュー間もないというから1999年頃かな、でも「このころ体調不良で公演を休むこともあり」ともあるから2000年頃かもしれないな。デビューして2年近く経っても"間もない"って言うのはちょっと違和感あるけどもう20年選手だしそんなもんかな…と。

でも、この時のメッセはこうなのだ。

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引用元URL : http://www.utadahikaru.jp/from-hikki/index_12.html

2008.12.09

今さっき

昼飯喰いにファミレス行ったら女性自身の青山さんっていう記者に取材された(笑)

編集者にどうしても聞けって言われたことはとりあえず受け答えした(笑)

2008.12.09

っつうか

昨日忘年会に行ってさきほど起きたばっかりまだ酔っぱらってる感じです青山さんごめんなさい

普通にMRI検査はどうでしたか?とかエイズ検査は?お母様は?とか聞かれました

普通に話してる姿がめっちゃおもろかった

ああ記念撮影してもらえばよかった(笑)

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そう、日付を見て貰えればわかるとおりこの時の(と思われる)インタビューはデビュー10周年を記念したものだったのだ。自分も立ち読みしたから覚えている。

https://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary/e/2d72b80683494f0f32a8f851b105fd0f/?st=1

流石に25歳の大人の女性は中学生に見えないだろう。二日酔いだったみたいだし(笑)。何より、この時のヒカルの眉毛は太くない。ヒカルはファミレスって書いてるし。率直に言って、何もかもがおかしい。可能性としては、青山さんが実際にデビュー直後のヒカルを取材したことがあったが、その時の記憶と混濁している事が考えられる。でも、幾ら何でも10年前と20年前の記憶が混ざるかなぁ? よくわからない。

兎も角、今回この記事を読んで微笑ましく楽しい気分になった皆さんには大変申し訳ないが、話半分いや話十分の一、眉に唾をつけて読んでおいてくれると有り難いです。まぁヒカルも細かい事は覚えていないだろうし、これはきっと真相は謎のままになる気がしています…。なんだか寒気がしますわん。