無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

Comfortable Distance

2006~2009年の『Message from Hikki』はそれはそれは莫大な量で、総文字数ならこの無意識日記よりも多かった程だった。よくもまぁあれだけ発信し続けられたなと。しかも専業ブロガーとかではないし、本業のひとつが作詞という同じく言葉を操る仕事なので影響を与え合ったりもしているし。『Cerebrate』の『触れてないのに感じる』なんかも先にメッセに出ていたんだしな。よくぞまぁ更新し続けてくれたなと。

今だって頻繁にツイートしてくれていてその事自体は感謝に堪えないのだが、単純に文章の絶対量が異なる為あの頃に較べて「今のヒカルが何を考えているのか」が少々わかりづらい。作詞の事もあるのでわからない方がよかったりもするし一概には言えないのだが、サンプルが多ければ多い程、"生きてるリズム”は伝わってきやすい。

ツイッターは140字という枠に縛られる。何通連ツイしても影響はある。その枠があるからこそ生まれるものも多いのだが何しろメッセは自由だったのでヒカルの生のリズムが露わだった。感情の起伏が伝わってきた。Preciousだった。

ファンとの距離感はヒカルが決める。ファンクラブを作らないのもひとつの表明だろう。ミュージシャンの中には特定のファンと何十年も付き合ってきて認知も進んでたりしてかなり親密になっていたりもあるんだけど、まぁ羨ましくないと言ったら嘘になるんだろうけど(笑)、ヒカルにはそういう時間は訪れそうもない。

メッセが始まった頃は"げいのうじん"のブログ自体、自己発信自体が珍しく、「メディアスルー」も新鮮だった。マスメディアを通さず、ファンに直接情報を届ける事が。今はそれに何の珍しさもなく、一方でヒカルは少し距離を置くようになった。だからといって信頼が揺るぐ訳でもなく、心地よい距離感というのはその時期その時期で少しずつ変化していくものなのだろう。今の呟き程度の言葉で生み出されるヒカルの現状のイメージは、ある程度「ヒカルが皆に持って欲しいイメージ」として捉えてよいのだと思う。少しわからない部分が増えているとしてもそれはそれでヒカルの狙いなのだろう。沢山の言葉で伝えたい事が出来てきたらまたそうするだろうさ。その為の場やシステムは、予め用意しとかなくちゃなんだけどね。