無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

Distance between mass & me

音源と映像両方でサブスクリプション/ストリーミングを強化していく中、難しいのはマスメディアとの付き合い方だ。テレビ・ラジオ・新聞・雑誌・書籍といった旧来のメディアは広告費でインターネットメディアに抜かれながらもまだまだ元気。寧ろ資産額を考えれば旧来メディアに親しんでいる層の方が総体的には遙かに強いとすらいえる。

宇多田ヒカルはマスメディアの爆発力に頼ったプロモーションで20年やってきた。これは特異な事である。露出頻度が小さいのにな。

ジャニーズなどに顕著だが、兎に角テレビに出まくり続けるのがマスメディアに住む人間の基本だ。ヒカルは隠れキャラに近い。プチハレー彗星状態。

普通ミュージシャンの場合、最初の最初こそテレビ新聞雑誌の瞬発力に頼って知名度を得るが、そこから先は活動を継続する為に地道にツアーを続けたりファンクラブを強化したり冠のラジオ番組を持ったりして熱心なファンを繋ぎ止める工夫をする。

ヒカルはそのどれにも当て嵌まらない。常にファン層が入れ替わる事も厭わず、寧ろ敢えて新曲毎に新たなファンを獲得する事で活動を継続してきた。勿論そうやって新たなファンを得てもすぐツアーとはならない為繋ぎ止めるのは難しくまた次の新曲で魅了するしかなかった。かなりの自転車操業だ。

その度にテレビドラマやテレビコマーシャルや邦画新作とのタイアップで宣伝を繰り広げる。その波及力無くして例えば『Flavor Of Life』や『花束を君に』の大ヒット&知名度は有り得ない。欠くべからざる必須要素なのだマスメディアの協力は。

当然向こうも宇多田ヒカルの“神通力”をアテにしているのだからgive-and-takeなのだが、もし関係を絶ったとしても向こうはすぐさま代わりを見つけるだけでそこまで痛手は無いだろう。一方でヒカルとレコード会社にとっては死活問題だ。やっぱりそこは非対称。

そんな中でストリーミングサービスという日本では新しい手法に手を出そうとしている今、改めてマスメディアとの関係性を問い直してみたい─という話からまた次回。