無意識日記々

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DTM(だれとも・つくれる・ミュージック)

21世紀初頭以降に計算機とインターネットが音楽家に与えた影響は凄まじい。まぁそれは言わずもがなだが、例えばヒカルのようなMac1台あればいつでもどこでも作曲が出来るDTM楽家にとっては最早革命的─存在自体に関わる大きな変革の連続だったといえる。

そもそもDTMという言い方自体がやや古めかしいか。デスクトップ・ミュージック。部屋に居ながらにして机に向かっていれば音楽が出来ていく環境を指した言い方なのだが計算機の小型化と無線インターネットの普及でそれすらも過去のものになりつつある。せめてLTM(Lap Top Music)と言うべきだった…あ、ラップトップも死語ですかそうですか。

で。それ以前も計算機での作曲・音楽制作は盛んだった訳だがインターネット網の整備のお陰で再び複数の音楽家が互いのアイデアを寄せ合って創作に取り組むケースが増えている。

つまり、元々音楽はスタジオに各楽器の演奏者を集めてみんなで録音しなくちゃならなかった所に計算機が出現して家で1人で作れるようになり、そこにインターネット網の普及が重なることでまた「みんなで録音」が普及するようになった、という流れがあるのだ。家に居ながらにして、だけど。

ヒカルは1998年デビューで最初っからDTM系シンガーソングライターとして活動してきた。何か楽器を演奏できる人が計算機の使い方を覚えてというのではなく最初っから計算機を使った音楽制作が前提だったということだ。他のやり方を知らない。

でそこから20年。先程述べたように再び音楽家同士のコラボレーションが盛んになっている。ヒカルも昨今は生楽器の多用などで多くのミュージシャンたちと共演することが多くなった。2004年の『EXODUS』がたった4人で制作された事を考えれば彼我の差だ。

即ち。ヒカルが最近2作でオーガニックなサウンドを増量しているのはヒカル自身の成長・進化・変化と共に時代背景の推移も多分に影響しているという事。出掛けて人と会うのが億劫だったヒカルもインターネット網を介せばコミュニケーションも楽ちんだ。そこに生楽器のサウンドの膨大なデータ量を扱える計算機の進化も加わって今のサウンドが出来上がっている。なんでも自力でやってきたのはそちらの方が早かったからだし今でもそういう側面が強いとはいえ、今のヒカルは孤独に机に向かい続けるだけのDTM系シンガーソングライターに留まらなくなっている。我が道を行くようでいてその実時代の変化と共にあるヒカルの音楽性は今後もこんな距離感で移り変わってゆくことだろう。我々はそれを通して時代の遷移を何となく感じ取っていけばよい。