無意識日記々

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スタンダード感のスペクトル

「スタンダード感」を説明する為には「そうでない例」も出した方がいいかな。

例えば『Letters』なんかはどうだろう。素晴らしい名曲であることは論を待ちきれないが、私にはあまりスタンダードな感じがしない。本人も渾身の一節と語る『いつも置き手紙』のフレーズを初めて聴いた時の感想は「斬新!」の一言に尽きた。スタンダード感というときの「初めて聴いた気がしない」とは対極の「こんなPop Song初めて聴いたよっ!」っていう驚きである。まぁこれの最初は『Movin' on without you』なんですけどね。凄く大雑把に纏めればヒカルはこういう斬新なPopsとスタンダード感溢れる安心の一曲の両方を繰り出しながら前に進んできた感がある。

勿論そのどちらにも当て嵌まらない曲もあり。『Passion』なんかは非常に特殊だろう。心象風景としては誰しもが持つ情熱という聖域を描いているのだがそこにあるのは「音楽以前」の世界観だ。まだこれから音楽になりそうな予感をもった情熱なり感性なり感覚なりといった抽象的な存在を音楽で表現するという自家撞着スレスレな自己言及的手法。余りにも特殊であるが故にこの曲はその点において特別だ。

Flavor Of Life』もまた『First Love』と同等のスタンダード感を持つ。でなくば数え方次第とはいえ800万ダウンロードなんていうバカデカい数字を叩き出せないだろう。しかしこれは御存知のようにもともとアップテンポなナンバーをバラードにしてまずそちらを世に問うた作品だ。『First Love』によって生み出された「宇多田ヒカルといえば王道のラブバラード」という先入観と期待感。それを孕んだ市場の中で『Flavor Of Life』は『Flavor Of Life』ならではのやり方でスタンダード・ナンバーとしての地位を確立するに到った。『First Love』という前提に立った上での手法だったのだ。故に私などは未だに『Flavor Of Life』のオリジナルの方をついつい愛でてしまう。もし仮に『First Love』がスタンダード・ナンバーになっていない市場があってそこで先に『Flavor Of Life』のオリジナル・バージョンがシングルカットされていたなら──なんて益体の無い妄想についつい興じてしまう。愛ですわ。

まぁそんな感じで自分自身の「スタンダード感のスペクトル」について語っていたら前回からの続きを書く時間が無くなった(笑)。ま、いつも通りだね。書いても仕方がないかもしれないけれど、"続きはまた次回のお楽しみ”ということでひとつ宜しくお願いしますよ。