無意識日記々

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「検閲」=公権力が表現物を取り締まる事

昔からこの日記で政治的話題を取り上げるなら「表現の自由」についてだと言ってきた。理由は様々だがひとつ具体的にわかりやすいのは「作詞家宇多田ヒカルの活動に制限がかかる虞(おそれ)がある」という点だろう。

私がTwitterでもフォローしている星井七億氏は百合姫でも連載を持つ文筆家だが、彼の昨日のnoteを読んで暗澹たる気分になった。詳細は省くが、今の日本の芸術系(なんだそりゃ(笑))はここまで表現に不自由してるのかと。貧困が叫ばれるのは経済だけではなかったのだ。

宇多田ヒカルは邦楽市場に於いてどメジャーなので実際の歌詞は政治的にであれなんであれ物議を醸すような内容からは程遠い。本人もそういう騒動に巻き込まれるのは本意でない人なのでそもそもそんなことテーマに選ばない。人と争うことを極力避けてきた人なのだ。人と争うどころか競うことすら躊躇う。そんなことをしなくても表現活動においては創造的であり続けられるよと自ら体現するかのように。

なので『Kiss & Cry』の『娘さんのリストカット』という一節ですら自粛する。ヒカルの立場ならそう歌えるならそう歌っただろう。なので忖度ではなく、単純に職業音楽家としてCMソングのクォリティに拘った結果でしかない。レコード会社に言われたとか日清から指摘があったとかではなかった模様。

寧ろ今迄で最も「検閲」に近い行為があったのは『ぼくはくま』だろう。『前世はきっとチョコレート』という一節にクレームが入った。「前世」というワードがマズかったらしい。結局画面での歌詞表示を『ゼンセ』とカタカナにする事で折り合ったそうだが、それも通らなかったら『ぼくはくま』を「みんなのうた」から引き上げるつもりだったと。こどもも楽しむほのぼの切ない童謡の名曲が世に出る過程でこのような事態があったというのはちょっと引く。

この時はまだ折り合えたからマシといえばマシだ。しかし今後このタイプの事例が加速してこないとも限らない。七億氏の「あいちトリエンナーレ」展示物レポートを読みながら、この排他的な空気が邦楽市場にまで来るのも案外近いんじゃないかと予感したのだが、今度ばかりはこの予感が的外れに終わる事を願いたい。でも気がついた時には大抵既に手遅れなんだ…。