無意識日記々

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「ちゃんと確かめる」。これだけだ。英語の歌を楽しもう。

ただ、ヒカルの場合日本語で歌う事が駄目になっても英語で歌えばいいからそれについては有り難い。恐らくフランス語も習ったのだろうしイタリア語もいけるかもしれない。中国語はどうだろうかな。日本で検閲が進めば、日本で歌を出さなくなればいいだけの話だ。

「日本語の歌でないと寂しい」というファンが多数派なのは百も承知だ。しかし、そこまで検閲が進んだ社会になっていれば宇多田ヒカルが歌ってようが歌ってまいが気にしてる余裕なんて無いんじゃなかろうかね。末期、或いはもうダメだろう。

絵空事と空笑いできる人は幸福だ。ヒカルの歌がなくても大丈夫だ。

公権力が検閲する前にまずレコード会社からの自粛要請があるだろう。その時点でヒカルは離れる。そうなる前に離れているだろうかな。移籍ってより、日本で仕事しなくなるよね。海外のレーベルからなら日本語の歌を歌えるかもしれない。問題はそれが輸入できるかだ。

21世紀はそこでインターネットの話になる。現実にインターネットに規制を掛けている国が存在するのだから日本だってそうならないとは限らない。これも杞憂と言いたかったが、ブロッキングが議題に出てる時点でもう既に端緒は開かれているのだ。

公権力は恐らく現状を追認するだけだ。まず民衆が圧力をかけてくる。検閲なんてその後でいい。官僚だって責任を取りたくないだろう。大衆を相手に商業音楽を作ってきた身としてこれは厳しい。

流石にインターネットが規制され始めたら我々も移住や亡命を考えるかもだがそうなってる頃には自由な行き来など出来なくなっているだろうな。

今回の「表現の不自由」の話で、如何に自分の感覚が麻痺させられているのかに対して無自覚なのかを痛感した。「ちゃんと確かめる」。これだけだ。昔卓球の全日本選手権女子ダブルスの話をしたのを覚えてる人はかなりの有り難い読者だ。あの時に、検索すればすぐ出てくる世界ダブルスランキングを誰も調べようとしなかった事態に対して危機感を述べた。あの時予想したより遥かに速いスピードで事態は悪化している。ここから更に加速されれば本当に洒落にならない。その時自分が正気を保っていられるかどうかすらわからない。

なので、シンプルに、ヒカルの英語の歌の楽しみ方も身につけておこう。正気を保つ為には、それがいちばんな気がする。その時聴ける状態にあれればだけどね。ヒカルの歌は、歌詞の意味がわからなくても何か響いてくる筈だから。