無意識日記々

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“自分自身の成功で”

『調子に乗ってた時期もあると思います』

『道』を初めて聴いた時、誰もがこのパートを面白いと思ったのではないか。この部分をヒカルはこう英訳した。

『There was a point when I let myself

 Get a bit carried away by my own success』

直訳しなおすと「自分自身の成功でちょっと自分自身を見失っていた時期もありました」といったところか。「success/成功」という単語を使ってハッキリと宇多田ヒカルという個人の独白と受け取っていい訳し方をしている。何故なのか。

恐らく、非常に微妙なニュアンスなのだろう。日本語で「調子に乗ってた時期」という言葉の選び方をした場合それは自分自身に対してでしか有り得ない。誰かに「あんた調子に乗ってるな」とは言えない。だからこの短いセンテンスでリスナーは宇多田ヒカルの、例えば「お金ならあるわよ?」発言とかを思い出して「それすら茶化してたやん」とかなんとかツッコミを入れてヒカル自身の事を言ってるんだなと察せられるが、英語では難しい。なのでよりハッキリと私は歌手として成功してそれによってという言い方を選んだのだろう。Netflixの視聴者も、流石に眼前で1万人規模のオーディエンスを相手にして歌っているのを観ているのだから“success”と言われれば察しが付く。

そこらへん、色々と気に掛けながら訳しているんだろうな。Netflixという場所、或いは最初のバンドメンバーへの説明、そういったシチュエーションに合わせた訳し方をして本来の歌詞の意図をより正確に伝えようとしているのだろう。ここらへんの細やかさが職人気質を感じさせるところだ。家業で音楽家やってるだけの事はあるわいな。