無意識日記々

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サブスクになって変わること変わらないこと

一昔前は音楽の提供方法がバラバラだった為なかなかお互いに「人気の度合い」を測り合うのが難しかった。セルCDとレンタルCDとダウンロードそれぞれの出す数字をどう解釈・換算すればいいかよくわからなかった。特にCDは末期の頃には音楽の提供方法ではなくなっていたので売上枚数が目安にならなくなっていた。

今は違う。─と断言出来るほどのシェアにはなっていないが、サブスクがメインになる時期が来たらそういう“言い訳”は成り立たなくなる。再生回数と再生時間がわかるのだからこれ以上のデータはなかなかないだろう。もう逃げ場はない。どれだけの回数と時間聴かれているかで愛され度が測られる。

果たして、この状況は宇多田ヒカルにとって吉と出るのか凶と出るのか。「通常盤仕様一形態」なんてものを買う層はそれは音楽を聴く為だろうと考える。勿論そうなのだがそれが何回くらいなのか。フルコーラス聴くのか。長年聴くのか。そういったところまで網羅されたチャートが大々的に扱われるようになった時に宇多田ヒカルは浮上するのか潜行するのか。

スピーカーの前の人数まではわからない。サブスクの基本はスマートフォンだから大抵一人で聴くものだがヒカルの場合特に一人で聴くリスナーが多い気がする。そして、誰しも感じることだが、周りに、ヒカルの名前を知っている人はいても(というかある程度以上の年齢なら全員知っている)熱心に普段から聴いているファンとなるとなかなか見つからない、という経験的事実。ヒカルは一定のクラスタに大々的に支持されるのではなく、あらゆるクラスタからひとりひとり拾い出すような選択公理みたいなファン層を構成している。なんなんだその喩え。

故にサブスク時代のチャートでも似たような様相になるのではないだろうか。各種クラスタ毎のチャートでは地味だが総合的になればなるほど頭角を現してくるような。そういう変わった立ち位置のアーティストの場合どのようなデジタル・プロモーションが有効なのか、次回(といってもいつになるやらだが)考えてみたいと思います。