ヒカルがあからさまに母への愛を歌ってこなかった時代、それはどこまで意識的に“隠して”いたのか、或いは自身も半ば無意識に『君』や『あなた』にお母さんを重ねていたのか。
『隠しておきたい
赤ちゃんみたいに素直な気持ちは
ビルの隙間に
月など要らない
お母さんみたいに優しいぬくもり
街の明かりに』
これは2002年発表の『DEEP RIVER』アルバムに収録された『東京NIGHTS』の一節だ。これをみると、かなりのところまで自分の感情を把握していたように見受けられる。『月』は“太陽の不在”や“太陽の代わり”を示す比喩で即ちヒカルからすれば『月など要らない』は「本当の母に会いたい」といったところか。直接『嵐の女神』で『お母さんに会いたい』と歌うまでここから8年を費やす訳だが、自分自身でその気持ちを知らなかった訳ではなく、世に放つ或いは自分の感情と向き合いきるまで時間が掛かったということだろうか。
補足すると、『ビルの隙間に』とか『街の明かりに』とかいった描写がその「世」にあたる。自分自身で知っている事とそれを歌にして不特定多数に聴かせる事では大分違う。その違いがPopsだと言い切ってしまってもいいがそれは兎も角『赤ちゃんみたいに素直な気持ちは』と『お母さんみたいに優しいぬくもり』の間にビルや街が差し挟まれているのは象徴的だ。つまり、ヒカルは、全部ではないにせよかなりの部分、世間を差し挟んでお母さんにメッセージを送り続けていたのである。その帰結として最終的に『お母さんに会いたい』と言って人間活動に入っていったのだ。ビルや街といった社会や群衆に惑わされない活動に。
斯様なスペクトルを許に、もう一度『Fantome』と『初恋』の歌詞を読み返してみると、という話からまた次回。