無意識日記々

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再生と再定義の意義

ヒカルの歌もまた日々過去の音源と親しんでいくことで記憶の印象が改変されていく。自分の場合は他のアーティストたちの作品も聴いているのが大きい。

これは、ずっとヒカルの音楽ばかり聴いて過ごしているのとは異なる様態を生んでいく。最新のリリースをチェックするのでも過去の名盤を味わうのでも同じだ。自分の方の音楽のスペクトルが変化していくという点においてはね。

最新のリリースを相手にしている場合は自分側のスペクトルが時代に寄るというだけの話。今モーツァルトに目覚めて何百とある作品を聴き始めたのなら、時代の動きとはシンクロしないかもしれないがその経験後にヒカルの歌を聴けば違って聞こえてくるだろう。

特に力む必要は無い。同じ曲でもリスナーの方が変化すればその度違って聞こえるというかなり自明な話をしているだけだ。だが大事なのはそうと知っているかどうか、だね。

「色褪せない名曲」という言い回しがある以上色褪せる曲も存在するがその色を褪せさせるのは我々の変化の方。時代とともに褪せた色がまた鮮やかさを取り戻す時が来るかもしれないがそれもまた我々が変化したからに過ぎない。音楽は変わらない。

『初恋』という歌の誕生によって『First Love』の存在はより相対化された。それは一度『Flavor Of Life』でも起こった事だ。『初恋』は『Laughter in the Dark Tour 2018』で、『Flavor Of Life』は『WILD LIFE 2010』でそれぞれ『First Love』の直後に演奏された。新しい歌が生まれる度に昔の歌の立ち位置が少しずつ変化するのは同一アーティストの楽曲同士でも起こること。アーティスト自身もまた常に動くシーンの中で再定義されていく。この動きは止まらない。

そういう意味では永遠の名曲なんて存在しない。我々は誰しもが死んで音楽を再生できなくなるからだ。誰かに歌い継ぐよう託すしかない。だからトリビュート・アルバムという企画は重要で…という話からまた次回。