無意識日記々

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香り待つだけ? あたしはSimeji

QWERTYにも慣れてきたので今度はSimejiをテストしてみる期間。ポケベル入力が懐かしい。

自分の場合入力方法は内容に直結している。あらかじめ何を書くかが頭の中で定まっている場合はどんなキーボードを使おうが変わりはないのだが、この日記は多くのケースで行き当たりばったりなのだ。考えながら書いたり書きながら考えたり、しまいには書いてから意味を考えたりと非常にせわしい。そういったケースでは文字が生成されるペースと頭が考えるペースのレシオ、比率が重要になってくる。

ガラケー時代からよく「その文字数を親指1本で」と呆れられてきたものだが、スピード自体というより寧ろ比率の影響が大きい。考えてる事を文字にするといっても、例えば自分の場合ありきたりなコラムを一篇800文字整えるのに約15秒かかる。が、800字を15秒でタイピングする方法はない。両手キーボードでも数百秒かかるだろう。日本語は変換が入るのでアルファベットとは事情が違う。予測変換を駆使しても数十秒単位の短縮だ。レシオの前にスケールが異なる。

なので逆にタイピングスピードがある程度遅くレシオが整数比になってサイクルが安定する方が書きやすい。次の展開を考えて組み立ててというひとまとまりとタイピングのペースが噛み合えばスムースに文章が生成される。そうなるとさほど推敲の手間も要らず後始末は誤字の掃除だけで済む。このサイクルが合わないと無駄な文章が差し挟まれたり必要な一文を飛ばしてしまったりして推敲にやや時間が取られる。タイピングが速くなったからといって完成が早くなる訳では無いのである。わかってもらえるかなぁ。

ヒカルさんの制作と創作にはこのサイクルという概念が無い。ゆえに大したインターバルでもないのに少し音沙汰が無いと健康を心配されたり事務所に問題があるのではとかレコード会社がどうのとかレーベルがどうのとかまで言われ始める。懐妊説も飛び出した。まぁその場合はおめでたいので歓迎なのだが、要はピッチや頻度自体よりもサイクルなのだ。まだ復帰して3年半、その間にレコード会社移籍を伴ったりして慌ただしくまだ「新譜発売からツアー」の流れも1回しか完遂していない。これではリスナーもサイクルを感じる事が出来ずに不安になるのも仕方がない。

2010年より前にある程度ファンをやっていた人間ならば「宇多田ヒカルはサイクルがないのがサイクル」と禅問答並みの悟りを開いているので問題は無いのだが、周りのスタッフは若いファンに対してその境地を知れという態度では少し冷たいのではないのかなとも思う。スタッフとはいえ公式がほんの少しファンとツイッターで戯れるだけでも大分違う。ヒカル以外の仕事もあるからというのならその旨呟いてしまえばよいのだ。確かに「それもバランス」ではあるのだが、不用意な発言さえなければ露出は一定の頻度である程度は確保されていた方が印象はいいだろう。気まぐれアーティストであるヒカルさんのフォローはそうやってなされるべきだと、コンスタントさ重視の無意識日記さんとしては思うわけですよっと。