無意識日記々

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「声&not曲」or「曲&not声」

自分も去年の今日『Laughter In The Dark Tour 2018』2日目公演を観たのだが特に感慨が無いのは日記でライブレポートみたいな何かを書いたからだな。誰よりも詳細に振り返ったお陰でしっかり過去になっている。まぁ特殊なケースですね。

「過去にする」のって結構大事。歳をとると過去にしきれないものがどんどんと積み重なっていって新しいものを取り入れる余地がなくなってゆく。そして、周りを見てもそれが多数派になっていくから「そんなもんか」という気分になる。それはそれで人生なんだけれど、ここを読みに来ている人は大概がヒカルに興味のある人だから、目下大絶賛現役続行中のアーティストの新しい活動に対してどういう態度を取りたいかというのは悩みの種かもしれない。

ヒカルに対しては、今までの事をあっさり過去にしていい。或いはもう捨ててしまってもよい。次に来るものもまた素晴らしいからだ。この「あっさり」を言えるアーティストやグループは稀有中の稀有。モーツァルトは30代で死んじゃったしザ・ビートルズは10年しか持たなかった。ヒカルは既に稼働年数14年を超えている。そして才能に翳りはみられない。ちょっと有り得ない。

逆説的だが、だからこそその時々のアウトプットに対して是々非々でいいのだろうと思う。今度のはつまらない、気に入らない、私の趣味じゃないとハッキリ言う事が大切だ。1回や2回そういった事がある方が魅力にリアリティが出てくる。狂信でもなく依存でもなく惰性でもない、今の感性で触れる歌声。まぁわざわざ言わなくてもええやんかというのもわかるが、本気で興味を失った人はそれこそ何も言わずに自然に去っちゃうのよね。

いつもその人に話を聞きたいと思うのだが、当然ながらそんな人はこんな所はとっくに来なくなっているので接せれる機会など無い。そっちは不可能だが、一時期離れていた人なら可能性が出てくる。それなら今読んでくれてるかもしれないものね。どの時期に興味を失って、そしてまた興味が再燃したのはどのタイミングだったのか。或いはそれが、昨年の今頃の公演だったりしたのだろうか。コメント欄で隙あらば自分語りしてくれへんかなぁ。

その意味でも、目下の素材への皆の反応は興味深い。ヒカルが連続で他人の書いた歌を歌うなんて稀だからだ。『宇多田ヒカルのうた』の時もファンの間であからさまに反応が別れたが、このような、ヒカルが新しいアピアランスと共に活躍するケースはどうなるのだろう。ヒカルの曲だけどヒカルの声じゃない時と、ヒカルの声だけどヒカルの曲じゃない時と。それぞれの時に……黙ってる人の意見が聞きたいのよね。嗚呼これはやっぱり叶わないヤツ。まぁいいんだけど。

なので、時間差でいいので、ほとぼりが覚めた頃に(?)「あの時は興味が薄れていた」と告白して貰えると有難い。名無しでいいのでコメントしてみてくださいね。反応が無い方がいいのならただ読むだけにするし。どないでしょうか。