無意識日記々

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美酒の意図

歌詞は現実も虚構も平等に素材として扱い組み上げられていく。故にその出来上がりは虚構としてまず扱われるべきだ。「樽一杯の泥水に匙一杯の美酒を混ぜれば樽一杯の泥水になる。樽一杯の美酒に匙一杯の泥水を混ぜれば樽一杯の泥水になる。」という有名なマーフィーの法則にしたがえば、虚構とは泥水である。

世には美酒より泥水の方が遥かに多い。逆なら美酒を汲んで来て売ればよい。額に汗して醸成する必要は無い。

ヒカルさんが作詞作業の苦労を吐露するのも泥水から美酒を精製しようとしているからだろう。しかしそうやって苦労して作ったものもまた泥水として扱われたらたまったものではない。だが同時に、意図と異なる美酒として扱われる事もまた厭われるべき事柄である。

ここに歌詞の評価の難しさをみる。『WINGS』は当時の配偶者との実際の喧嘩を素材にして歌詞にしたとヒカル本人御自らが吐露しているが、だからといって『WINGS』の歌詞総てが事実に基づいている訳でもない。しかし人々(我々)はそれがまるで宇多田光氏の日記のように捉えるだろう。そんなことがあったんだ、へぇ、とでも言うように。

だが歌詞の美酒としての味は事実ではなく真実、いやさ真理から来るものである。虚構を以て表現される真実もある。もっといえば、虚構無くして真実真理は語れまい。人々は美酒を事実と宣うが作詞家の作った美酒の意図は真理の方だ。その乖離を知るにつけ暗澹たる気分になってみるのもよいが、今やそれすら見越して作詞をしているのかもしれない。その実例の話はまたいつか。