無意識日記々

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許され素

前々回の続き。デビュー21周年を目前にして、現在の宇多田光さんはどれくらい『宇多田ヒカル』を演じているのか。

デビュー当時からその作っていない「自然体ぶり」が話題だったヒカルだが、さりとて全く演技をしていなかったかというと別でして。Cubic Uとしてテレビ出演した98年夏はやたら大人びた振る舞いだったし、レコード会社のお披露目会に出た98年秋は翻って憎たらしいまでのふてぶてしさだったし、地上波初出演した99年梅雨はハイテンション女子高生だった。たった一年でそこまで性格が変わるはずもなく、やはり場に合わせてある程度使い分けていたという感じ。

とはいっても、演技をしていたというところまでいくかというとそこまででもなく。その場に合わせた振る舞いと言いますか。後年テトリスマニアであることを告白した際学生時代は自分のヲタクぶりを友人に打ち明けられなかったと白状していたが、普通の日常生活、学校生活でも自分のポジションに応じてそれなりの振る舞いをしていた訳だ。それを演技と呼ぶかどうかは趣味みたいなもので、ヒカルに限らず、誰であれある程度は場に合わせた振る舞いはするよねっていう。

その意味で、例えば『Laughter In The Dark Tour 2018』でヒカルの素のMC姿がいつも通り評判になっていたが、あれとて周囲が受け容れてくれているからああしていると言える。「シリアスな歌の後にあんなMCは興醒めだ。」という声が圧倒的大多数だったらきっとあんなMCは披露しない。まぁそうなった時の対処法はMCのスタイルを変えるよりは「一切喋らなくなる」方だとは思うけれど。

ただ、勿論あれを演技と呼ぶかというと違うわよね。そのまま喋っていい、寧ろそれを見に来たという場の空気が「素を許している」ということだ。前々から「歌手宇多田ヒカルの最大のライバルはアイドル宇多田ヒカル」と言っているが、あれこそが魅力だと思っている人も相当数居る。聴衆の反応がそれを物語っている。

ということで現在のヒカルの「演技ぶり」というのは、結構それなりに希薄というか、素のままを受け容れて貰っている以上あんまり必要ないというか、そんな感じなんだけど、それはライブのMCの話でしかないとも言える訳で……という話からまた次回。