無意識日記々

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黒子のゆみちんとグレ子のひかるちん

「作り上げたら二度と聴かない」という人が「作りたい曲」というのは聴く為に作るのではないのだから創作の過程自体が目的と捉えるべきだろう。だから、完成してもう過程を生み出せない作品に用はないのだ。

となると、ヒカルの言う「両立」というのは直接音楽性の両立を指すとは限らない。パンク全盛時代にメタルを受け容れてもらう為に曲調を四苦八苦、みたいな話ではない訳だ。もっといえば、創作過程が楽しければ音楽性はどうでもいいのかもしれない。

とはいっても、創作過程で何度も“中途半端な作品”を聴き続ける訳だからフツーに興味の持てない音楽性・ジャンル・方向性の楽曲は最初から手掛けないだろう。ある程度、というか相当好きでないとやっていられないだろう。48トラックのコーラスを重ねるとかなら、尚更だ。

で、ここで家業を継いで音楽家になった≒家の商売をしている身としては顧客の要望に応えるターンが発生する。ヒカルとしては、創作過程の興味が「作りたい曲か否か」を判定する材料である一方、顧客は勿論過程など問題にしない。出来た完成品の曲調や方向性こそが問題なのであって、要は鑑賞の為の要望をオファーとして出している確率が99%だ。「宇多田さんがレコーディング・プロセスを楽しめた曲を提供して下さい」というオファーは今までもなかっただろうし、これからもないだろう。

つまり、ヒカルが「両立」を出来るのは、ここの意識の差、価値観の差によるところが大きいのではないかという事だ。折り合いをつけるのは勿論難しいが、真っ向から対立するものではない。こっちはアップテンポのハード・ロックがやりたいのにレコード会社はソフトでスロウなラブバラードを作れと言ってくる、みたいな正面衝突ではないのである。

恐らく、元々の質問者の意図は、音楽性や曲調、歌詞のテーマなどについてのつもりだった筈だ。だが、恐らくヒカルの答えはそういうことではない……というか、もしかしたらこの答えですら、「周りがそう言うと喜ぶだろうから」という理由で言っているのかもしれない、と。嘘をついているわけではない。言っている事は本当なのだが、こう言われると嬉しいだろうなという予測はいつのまにかはたらいているのではないかと。

最初、椎名林檎のことを“「インタビューでそういう受け答えをするのが求められているからそう答えている」のかなと思わせる”と書いた。その対比としてヒカルは素で居られてるなぁというのが普通に持つ印象なのだが、結局ヒカルの場合でも、「周囲から素であって欲しいと求められている」から素でいる、いられる、という事で。どちらも周囲の要求や要望に敏感に反応をしているが、椎名林檎の場合は素のゆみちんは特に求められていなさそうなのに対して、ヒカルの場合はひかるちん≒素の宇多田光さんが見えれば見えるほど喜ばれる。そういう構図が出来上がっているのではないかなというお話でしたとさ。