無意識日記々

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「なんちゅうこと言うんや。。。」

@utadahikaru : デビュー21周年記念日の今日、沢山のお祝いメッセージありがとうございました!生きてると後悔はつきものだけど、後悔と罪悪感を切り離して、いくつかの後悔は大事な思い出とともにしっかり抱いて、誰も悪くないってわかってても抱えてしまう罪悪感は手放してあげようと思えるようになった一年でした。

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ほんまにもう、なんちゅうこと言うんや……。晴れがましいデビュー記念日の御挨拶なんて有り触れた定型文でいいだろうにいきなり真心をぶっこんでくるとは。素直におめでとう言い難いやないか。

メッセで普段から様々な本音や何やらを投稿し続けてた時期ならそんなに問題もなかった。読む方も流れがあるからね。英語だとmomentumっつーんだったか。要は慣れだわね。でも最近のあーたのアウトプットにそんな流れあった? パイセン回答滞ってるの忘れてるんじゃない? 書いてみたはいいが途中で置いてある中でこのツイートなら順番が逆だよ。

兎に角言葉がいちいち重い。一文々々噛み締めて噛み砕いて咀嚼しなきゃいけないんだけど全単語そんな感じだから途方に暮れる。ツイートって140字じゃなかったっけ!? 2万5000字の対談より遥かに重いんですけどどうしたらいいですか。

こういう時は騙し騙しいこう。大人はこすずるいのです。

まず頭に思い浮かべてみたくなるのはお母様の件。これは嵌めやすい。母親の自殺という事態に対して苛み続ける後悔と罪悪感な。もっと何とかならなかったのか、自分はもっと出来たんじゃないか、自分はどこで間違ったのかとずっと自分を責め続けてきた数年間。漸く少しずつそこから……というストーリー。とてもわかりやすい。

他には離婚の件。別れるのはいいとして、息子に対してどんな態度でいればいいか、自分の決断は正しかったのか、それとも他にやり方はなかったのか。

なりくんの話かもしれない。又吉対談でもまた名が上がっていたようにこの3年彼から被った影響は非常に大きい。しかし「丸の内サディスティック(expo.ver.)」のカラオケ版とスタジオ版の雰囲気の違いからもわかる通りいつしか仲違いしてしまった。他にやれることはあったんじゃないか……。

なんて感じ。例えば我々の知ってる話で解釈してみるとこうなる。こういった間に合わせの解釈で自分を誤魔化しつつ、そこから生まれた違和感を相手にして発言の本質と本音がどこにあるかを炙り出そうとする。いきなり真正面からいっても重さに押し潰される。何より、私達の知らない話が元になっているとしたらどうしようもない。そんな事をわざわざ呟いているとすればそれもまたおかしな話だが、これを機にまた昔の距離感が戻ってくるとすれば…それはとても大変な事態だ。新曲出すよりデカいかもしれない。

ひとまず、真心の籠ってない感じで言っておくわね。

「デビュー21周年おめでとうございます。22年目も、どうか体調にお気をつけて頑張ってください。」

挨拶は的外れだからこそ効力を発揮する。今回のツイートの重さに耐え切れない人は取り敢えず嘘でも的外れでも何でもいいから抱え込まずに何か言ってみる方がいい。どうせ当たりゃしない。そこからスタートという意味では抜群の号砲となった。22年目はもしかしたら波瀾万丈なのかもな。