無意識日記々

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アルバムの1曲目の傾向について

ヒカルのアルバムの曲順は基本的にプロデューサー陣の合議制で決められている節がある為曲作りの段階で「この曲をオープニングナンバーにしよう」とかは考慮していないと思われる。せいぜい作っている最中か作った後に「この曲がオープニングナンバーにはいいかもな」と感じる程度だろう。なので、1曲目だからとか最後の曲だからといってヒカルが何かを意図していると読み取るのは行き過ぎかもしれない。

しかしそれでも傾向というのは存在していましてですね。ヒカルのアルバムのオープニングは、リスナーに語り掛ける視点を入れる事が多いのだ。

視点というと曖昧だが、歌詞とその歌い手というのは大抵「姿の見えない誰か=君、あなた」に向けて歌われる事が多い。その人に対して私や僕が思いを綴る。しかしたまに歌手がこちらを向いて語り掛けてくることがある。「いきなりこっち見んな」ってヤツである。

Wait & See 〜リスク〜』が好例だろう。途中まで『だから君が必要』とかまだ見ぬ君に歌い続けてたのに最後キーチェンジした途端『キーが高すぎるなら下げてもいいよ』と来たもんだ。いきなりこっちを向いて言葉を発するから吃驚する。『This Is Love』もそうだ。二人で朝まで朝からイチャイチャしてたと思ったら中間部で急に『あなたにもありませんか?』とこちらに話し掛けてくる。Utadaの『Opening』もそうである。『越えたいのはジャンルの間じゃなくてあなたと私の間なの』と。

他のパターンもある。主語が“You & I”でなくて“we”になるパターンだ。勿論「君と僕」のことだと捉える事も可能だがどこか私たちリスナーも巻き込んでいる雰囲気がある。『We fight the blues』と歌う『Fight The Blues』もそうだし、『Can we play a love song ?』と歌う『Play A Love Song』もだ。ヒカルの歌で主語が“we”になる曲は珍しい。


ご覧の通り、“リスナーを巻き込もうとする歌”を幾つか挙げたが、ことごとくがアルバムのオープニングナンバーなのだ。これは意図したのかどうか定かではないが、アルバムという長尺の世界観に引き込む為にはまずリスナーに語り掛けるところから出発してそこからのめり込んでいってもらおうという感覚がどこかにはたらいた感触は否めない。明確な意図というより「なんとなくこうなった」というか。兎に角、結果的にこうなっているのだ。

そうすると、そのパターンに当て嵌まらないようにみえる『Automatic』と『SAKURAドロップス』はどうなのか、という話からまた次回。