無意識日記々

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結局、それとこれとは関係ない。

鍵は、そもそもリスナーが『それとこれとは関係ない』という歌詞自体に違和感を感じたかどうかなのだ。そのまますっと入ってきた人はそこまでの歌詞を「失恋してもめげない人なんだな」という風に受け取っている。そう受け取らなかった、或いは、他の含意を受け取っていた人が「この流れで突然それは何の話?」と戸惑うのだ。

そういう戸惑った人に対して捧げられる『それとこれとは関係ない』は、『Wait & See 〜リスク〜』の『キーが高すぎるなら下げてもいいよ』同様メタ歌詞として響く。リスクの歌を聴きながらその歌詞世界に没頭せず「宇多田の歌はキー高ぇな〜」と思っていた人にほどダイレクトに届くというか。一方没頭していた人は「いきなりこっち見んな」になっていた事だろう。同じ歌詞でも受け取り方のスタンスの違いで大きく意味が変わる。『それとこれとは関係ない』もそういう風に扱われるべきセンテンスであると言っていい。

そして、このセンテンスはラストリフレインとして使われている以上、究極的には意味の要らない一節だ。『Laughter in the Dark Tour 2018』公演でもヒカルのキーボードのバックで延々繰り返されていたが、あそこまで繰り返されると人は言葉の意味なんて忘れてしまう。そのうちにそれは『ソレトコレトハカンケイナイ』というただの音節の塊へと捨象されていく。『震度6弱地震』がヒカルにとって生命を脅かす暴虐ではななく『シンドロクジャクノジシン』という音の塊でしかないように、『ソレトコレトハカンケイナイ』もまた、恐らく、歌詞として採用された一番の理由は歌のラストリフレインとしての響きがよかったから、だろう。それが最優先となれば多少意味が通りにくいとしても作詞作曲兼業作家は真っ先に採用する。寧ろそれに合わせて無理矢理ストーリーを作り上げるところまである。それが作詞だと言ってもいいほどだ。これはただの歌だという事をまず頭に置いておかなければならないだろう。ただ言いたい事があるだけならメロディの呪縛に悩まされず詩集でも随筆でも執筆して出版すればいい。そっちの方がずっとよく伝わるだろう。些か暴論ではありますが。

なので、歌詞の内容に意味を求め過ぎるのもお互い苦しい。もしあなたが歌詞の意味がわからなくて悩み始めたのならまずその一節を口遊んでみることだ。それで心地よいと思えたらそれがそのセンテンスの存在理由である。そこまで深く考えなくても、伝わるべきは既に伝わっていたのだ。まずは歌を楽しむ所から。所詮、歌なんてものは総てが仕組まれ切っている訳ではない。何の意図もしていない無関係なもの同士に無理矢理意味を見出そうとしないこと。つまりそれこそが『それとこれとは関係ない』訳ですよ。おわかりですかな。あーやれやれ、これで少しはまとまったかな? 次回から他の話題に移ります。